全てが終わって、思い出したことが一つ。
 何のことはない。彼が、自分の担任だったこと。




教師の記憶





 聖杯戦争が終わって一週間が経つ。
 二月の終わり。季節はもうすぐ春に移ろうという頃、遠坂凛は、呆と窓の外を眺めていた。
 晴れた空。眩しいくらいに朝の日の光が降り注いでいる。
 ……聖杯戦争が終わって一週間が経つ。
 ……葛木宗一郎が失踪して、一週間が経つ。
 いや、実際には失踪ではなく、葛木宗一郎という人間はそれより前に既に死んでいる。だがその死は聖杯戦争におけるマスターとしての死であったため、あの教会の地下に倒れた遺体は、監視役であった言峰の後任に、誰にも知られることなく葬られた。
 どことも知れぬ場所に、墓もなく、或いは骨さえもなく。
 だから表向き、葛木宗一郎は行方不明だ。この学校の中で彼の"行方"を知っている人間は、凛と他にはもう一人しかいない。
「はーいじゃあHR始めますよー」
 よく通る声を響かせながら、藤村大河が教室に入ってくる。今日は遅刻しなかったんだ、と凛は教壇に視線を向けながら思った。
 ──マスター・葛木宗一郎の死は、即ちこの学校の教師であった葛木宗一郎がいなくなったことでもある。
 葛木は凛のクラスの担任だった。だから彼がいなくなってからは、代わりの担任が選出されるまで、他の教師が日替わりでHRに来ている。彼の担当だった教科はほとんどが自習か、やはり代わりの教師が来ていた。
 藤村大河が代理を務めるのは今日で二回目だった。ちなみに前回は自分が代理ということをすっかり忘れていて、本来の担当のクラスでHRを終えた上で生徒の一人に指摘され全速力でこの教室に飛び込み教卓の縁に頭をぶつけて半回転してそのまま宙を舞い直線状にあった窓から危うく落ちかけたところを運良く窓枠に引っかかって辛くもセーフ、という神業を披露してくれた。……いやあれは凄かった。
 ただその後、所謂タイガーコールで目を覚ました(もとい、覚醒した)彼女が、いつものように「タイガーって言うなー!」と叫──ぶことはなかった。響き渡るタイガーコールの中、ただよろよろと立ち上がって教壇に立ち、明るい顔と声で普段通りのHRを始めた。
 その一種異様な光景に、凛を含め生徒全員が声を失った。
 理由は──凛には何となく、察しはついていた。
 いや、それはきっと皆も同じだろう。大小の差はあれ、それぞれどこか喪失感を味わっているはずだから。
 葛木宗一郎がいないということ。
 日常のほんの一部が欠落しているということ。
 藤村大河という人間にとって、葛木は仕事上の同僚である。特別親しくしている場面を見たことはないが、仲が悪いということもないだろう。
 だから、それが突然いなくなったということに、少なからずショックを受けているのだろう。
 それでも今は、表面上それを感じさせない程度には回復している。──例え、奥底で何を思っていようと。
 視線を逸らし、思考を巡らす。
 ──葛木宗一郎。教師としての彼は厳格な性格だったが、慕っていたかどうかは兎も角、嫌っている人間は少なかったように思える。
 ……それは皆が、彼がどういった人間か知らなかったからだ。
 街中の人間から活力を奪っていたキャスターを責めもせず、
 己を朽ち果てた殺人鬼と称し、多分それはその通りだった。
 魔術師である遠坂凛は、その辺りのことについて特別思考を向けることはない。だが社会的に見れば彼は罪であり、悪である。
 それを知っていれば、皆の彼を見る目は変わっただろう。
(────────いや、)
 大河の声を遠くに聞きながら、凛は心の中で頭を振った。──彼のことを何も知らないのは、自分だって同じではないか。
 何故魔術師でない彼がマスターになったのか知らない。
 どうして彼が自身を殺人鬼と呼ぶかも知らない。
 彼が戦った理由など知るはずもない。

 ──狡猾の体現であるようなキャスターが何故、あの状況で葛木を庇って果てたかが分からない。
 ──死ぬ間際、どうしてキャスターがあのように寂しく笑いながら、願いは叶っていた、と言ったのか分からない。
 ──キャスターを失い、勝敗が決したあの状況で、明らかに己が死ぬ道を選んだ彼の心が分からない。

 知っていることなど、皆と比べてどれほどの違いがあろうか。
 それに自分が知ったことにしたって、聖杯戦争の敵として戦ったことを通してだ。教師と生徒として知ったことであれば他と変わらない。そんな人間が、教師としての葛木しか知らない彼らがどう思うかを考えるなど、傲慢に他ならないだろう。
 そも、積極的に関わり合いになろうとしなければ、教師のことを生徒が詳しく知ることなどないし、逆もまたない。
 そういった意味で、遠坂凛と葛木宗一郎の関係は極めて普通だった。
 何かしら特別な感情を抱いていたわけでもない。ただ一生徒として言うなら、彼女は葛木のことが嫌いではなかった。

 だから、そう、
 今の自分は魔術師ではないのだから、あの時彼の死を止めなかった自分にも、胸にぽつんと空いたこの小さな穴の痛さを感じることくらい、せめて許されると思いたい──



 何事もなく一日が終わり、遠坂凛は帰路につく。
 交差点を衛宮邸に繋がる道に曲がろうとして──何気なく、全く違う方向に足を向けた。
 足が向くのは柳洞寺に連なる道。夕暮れの中を歩いていく。
 聖杯戦争中、何度かこうしてこの道に足を運んだことはあるが、こうして夜でない時間帯に歩くのは初めてだった。
 斜光の作る影が長く長く伸びる。
 オレンジに染まる世界。それはついこの間、まだ葛木が教師としていた頃のHRを思い出させた。
 全ての授業が終わって、一年間一言一句変わりなく告げられてきた同じ言葉。同じ音律、同じ発音、聞き続けてきたそれはしっかりと、自分の鼓膜に刻み付けられていた。
 それを聞くことは、もう、ない。
 柳洞寺に着いた。
 長い石段。かつて来た時は凶々しい空気ばかりが吹き降ろしていたここも、今はただ、森の木々との陰影で、やけに物悲しいだけの場所になっている。
 夕暮れはきっと寂しさを加速させる。でなければ、遠坂凛ともあろうものが、こんな何の思い入れもない場所できりきりと胸を締め付けられるような感覚に襲われるはずもないし、
 今、こちらに向けて歩いてくる人影が、あんなに肩を落としているはずもない。
 目尻に浮いた水分を軽く拭き取って、凛はこちらに歩いてくる人物に目を向けた。
 歩いてくるのは、柳洞一成だ。顔を俯かせ、足取りも重くいかにも元気がない。十メートルも離れていない自分に気づきもしないのだから、相当重症と言えた。
 学校での彼からは想像もできないその姿は、間違いなく葛木の失踪と無関係ではない。
「────奇遇ね、生徒会長」
 二メートルまで近づいたところで声をかけた。
「そ────」
 びくっ、と一成の肩が震え、一瞬にして顔が上がる。
「はうあっ! ととととととととと遠坂凛っ! おのれ、何故貴様がここにいる!」
 と面白いくらいに慌てた上で自分を指差し言ってきた。
 凛は当然の如く、いつも通り爽やかな自分を装って返す。勿論極上の笑みを浮かべて。
「別に、何でも? 散歩の途中たまたま通っただけだけど」
「いいや、貴様に限ってそんなことがあるはずない! というかお前は散歩などしそうにない、否、するはずがない! おのれ女怪。何だ、何を考えているというのだっ」
 にょかい、という意味は分からなかったが、何か見てて物凄く面白いくらい狼狽していた。この反応の良さは士郎にも匹敵するだろう。
 面白いのはいいが、このままでは埒があかないので溜息と共に口を開いた。
「ほんとに偶然よ。たまたま足がこっちに向いただけなの。
 だから、
「まぁ、いい機会だから一つ訊いておこうかしら。貴方、最近元気ないわね」
 どうしてそんなことを、訊いたのか。
 言ってから後悔した。そんなこと言わず適当にあしらってこの場を離れれば良かったのに。そう、訊いて何になる。そんな理由──分かり切っているではないか。
 また何か言ってくるな、と思いきや、予想を外れて、一成はただぽかんとこちらを見ている。
 十五秒が経過して──一瞬、顔に暗い陰を横切らせ、しかし次の瞬間にはいつもの調子で言ってきた。
「────こちらも一つ訊くが、やはり何を考えている。遠坂」
「失礼ね。わたしが気遣うのがそんなに可笑しい?」
「……面妖な。遠坂が俺を気遣っている。狐に化かされているのか?」
 うむむ、と腕を組んで本気で考え出す一成。……士郎といいこいつといい、実にいい度胸をしている。
「……まぁいいけど。で、やっぱり葛木先生が原因?」
 葛木、と口にした途端一成の動きがぴたりと止まった。今度は五秒。はぁ、と短く、しかし深く息を吐いた。
「……遠坂から見ても分かるようではまだまだ修行が足りんか。日々是精進には程遠い。喝」
 そして、どこか吹っ切れたように微苦笑を見せた。
「……もう一つ訊くが、それほどあからさまに見て取れたか?」
「さぁ。少なくとも学校じゃいつも通りに見えるわよ、貴方。わたし以外には分からないと思うけど」
 本当は士郎にも分かっていると思ったが、それは口にしないでおいた。
「そうか。なら安心だ。いなくなった後まで心配をかけたのでは兄──いや、葛木先生に悪い。
 察しの通りだ。いや、これで中々抜け出せん。まぁそれでも随分吹っ切れたがな。人生一期一会と言うからな」
 腰に手を当て、呵々と笑う。……目を背けそうになる自分を戒める。彼が自分に嘘を貫き通そうとしているのなら、自分がそれを暴くような真似はしてはいけない。
「──まぁ、元々ふらりと現れて住み着いた人であったからな、またふらりとどこかに行くのではないかとは、心のどこかで思っていたのだ。
 だからと言って婚約者の女性共々、唐突にいなくなってしまったのは少々驚いたがな。どんな事情があったかは知らぬがそれを推し量るのは邪推というものだ」
 婚約者、と首を傾げて、それがキャスターを指すのだと思い至る。表向きそういうことにして、女人規制の山寺に住まわせたのだろう。
 いや、そんなことより、今は──
「まぁ、葛木あにのことだからどんな場所でもしっかりやっていることであろうよ。うむ、それだけは確かだ」
 そうやって笑いながら嘘をついているこいつの歪さが、どこかの誰かに似ている気がして。
「──呆れた。それ以上言わないで生徒会長。貴方、全然駄目じゃない」
 そうして、拳を握り固めて言っていた。
「……む、どういう意味だ遠坂凛」
「言った通りの意味よっ」
 らしくない、と思う。一成が自分に笑顔を見せることや、こんなに饒舌になっていることが。
 そして、そのことでこんなにも感情的になっている自分が。
「自分に嘘をつくのは構わないけれど、それならちゃんとつき通しなさい。自分にもつけてない嘘なんか、見ていて見苦しいわ」
 それだけ一方的に言い切って、さよなら、と横を通り過ぎる。
 ずんずんと苛立たしげに地面を踏みしめながら歩いていく。絶対に振り向かないし、立ち止まらないと心に決めて。
「────不本意だが、」
 そんな折、後ろから声が響いた。
「礼を言う、遠坂。心配させて悪かった」
「不本意なら言わなくてもいいわよ」
 それだけ返して、やはり一度も振り返ることなくその場を去った。
 おそらく一成も、こちらを見てはいない。きっと自分と同じ理由で振り向いたりしない。
 ──お互い、一番涙を見せたくない相手だから。
「ああ、もうっ……!」
 乱暴に涙を拭い、ほとんど駆け足で凛は帰り道を歩いた。
 夕暮れは寂しさを加速させる。
 葛木宗一郎と遠坂凛。教師と生徒。マスターとマスター。
 それらの関係に、至った結果に、一度たりとも後悔を抱いたことはない。
 どうにかすれば死なせずにすんだんじゃないのか、とか、もっと他に取るべき道はあったんじゃないのか、とか、そういうことは絶対に考えない。
 遠坂凛は魔術師だ。それなら、人が一人死んだ程度で泣いてはいけない。振り返っても、立ち止まってもいけない。それが自分の選んだ道なのだ。
 そして逃げない。葛木宗一郎はわたしが殺した。手を下したわけではないけれど、止めなかったのなら同罪だ。だからそれをしっかりとこの胸に刻みつけて、わたしが殺したという事実から決して逃げない。
 彼の死を忘れない。ただ悼む。この胸の痛みを感じながら、その資格があるのかすら分からないけれど、彼の死を悼む。
 彼の姿を忘れない。入学して二年、担任として一年、共に過ごしたというにはあまりにも淡白な時間を忘れないと固く誓う。
 マスターとしてではなく、教師としての葛木宗一郎を、忘れない。
 そう固く誓って、凛はもう一度涙を拭った。
 士郎の待つ家まで十五分。きっとそこでは士郎やセイバーが夕食を作りながら待っているだろう。
 ならそれまでに、この涙を止めていなければならない。

 そうして少女は黄昏の道を行く。
 忘れない、と。人知れず自らに約した誓いを胸に。





























言い訳

 凛GOOD後。
 いまいち、遠坂凛というキャラクターを捉え切れているのか自信ありません。
 そもそも葛木が死んで凛が泣くのか、という根本的な問題もありますが。
 話を要約するのは得意なのに個々を掴むということは苦手なようです。二次創作向きではないんでしょうか。
 それでも書いたのは、やっぱり聖杯戦争後の凛及び一成の心境とかを考えてしまったからです。
 藤ねぇもどうか思ったんじゃないかな、とは思ったんですが、どのような関係だったか分からないので書くに書けず。










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