歩行回路




 却説。
 彼は歩くものである。
 彼は殺すものである。
 何も考えず歩くものである。
 何も考えず殺すものである。
 コギトエルゴスム。
 我思う故に我在りと言うのなら彼は間違いなく存在していなかった。明確に言うなら彼の自我は存在していなかった。彼は思考しないものである。
 外形は少年だが少年ではなく、種族は人間だが人間ではない。
 伸ばされた四本の突起はそれぞれ腕と脚だが腕と脚ではなく、指だが指でないものがそこにある。
 痩せた身体は身体ではなく、上部に位置する毛髪であって毛髪でないものを生やした球体は頭のようで頭ではない。
 彼の外形は人間であり、彼の種族は人間だが、彼が人間でない以上、人間に付属する全ての器官は人間のものとして肯定されながらも人間ではないと否定される。それがヒトでない以上それに追随する器官もまたヒトのものとは言えないからだ。例えかつてそうあったとしても。
 何故なら彼は回路であるから。
 歩いて殺す回路であるから。
 形状は人間であり、生態系的にも人間であり、しかし彼はヒトではない。
 コギトエルゴスム。
 我思う故に我在りと言うのなら彼は間違いなく存在していなかった。明確に言うなら彼の自我は存在していなかった。更に言うなら彼にヒトとしての意識など存在していなかった。
 ただの袋。ただの匣。中にあるべき意識という名の臓腑もなく、ただ二つの回路ばかりを詰め込まれたヒトガタ。
 詰め込まれた回路のひとつを人は殺人と呼ぶ。ヒトを殺すことを殺人という。しかしそれはヒトがヒトを殺したときにのみ適応される呼び名であり、例え動物がヒトを殺してもそれは殺人より事故に分類される。獣に意志はないからだ。一種の偶発。単なる不幸。
 故に意志なき彼の殺人は事故と同義である。なればこそ彼の回路は殺人回路ではない。ヒトが畜生を殺すのと同じように、異種を屠殺するだけのもの。彼がヒトより上位か下位かはともかく、彼にとって殺人は殺人ではなかった。
 そして彼はただ歩く。歩いて目に留まった人間を屠殺する。何の意志も意味も目的もなく。或いは本来意味と目的もあったかもしれなかったが、彼は回路であるからそれを知らない。
 だから彼は歩行回路。歩いて殺すだけのものである。
 
 却説。
 彼はその夜も歩いていた。歩いていた。一週間に一回、ヒトが定めるところの金曜日の夜に彼はこうして歩いている。
 静寂こそ彼の友であった。
 闇夜こそ彼の光であった。
 悲鳴こそ彼の歌であった。
 壊音こそ彼の声であった。
 血流こそ彼の水であった。
 落涙こそ彼の花であった。
 彼は知らないがヒトから見ればそうであった。
 だが今夜はまだ何も斬っていなかった。手の中の刃は血に濡れていない。塗れていない。
 しかし彼は気にするでもなく歩いている。見つからないなら見つからないで、見つけるまで歩いて殺すだけなのだから。
 ──ふと。
 彼は音に気付いた。それは建造物と建造物の間にあって、それほど大きくはない音であったろうが、音のない夜にはとても良く響いていた。
 音は真横の隙間からだった。彼はその中に入っていった。誘われるようにふらふらと。
 果たしてそこにヒトはいた。男が三人。袋小路の最奥を向いて何かしている。
 彼は刃を引き抜いた。三尺の大太刀を鞘から引き抜いた。名も知らない或いは名のない、更には元より呼ぶ必要のない太刀は、建造物に刳り貫かれた四角い空から照る月光に煌くこともない。それほどまでに漆黒。それほどまでに暗黒。どこまでも夜色の刃。
 男の一人が気付いた。
 振り向いた。
 首が飛んだ。
 一瞬晒される断面。噴水のように飛び散る血液。鮮紅が雨のように降り注いだ。
 残り二人の男が絶叫する。恐怖か怒号か或いは両方か。しかし逃げようにも唯一の出入り口は彼が塞いでいるから、結果彼をすり抜けるか倒すかしないと男達は逃げられなかった。
 案の定生き残るために男達は向かってきて、しかし結局徒労に終わる。否、死んでしまうのだから徒労も何も感じないのだろうが。
 太刀は一人目を頭頂から股間までを断ち、跳ね上がって右大腿を下から切断し、更に直角に折れ曲がって割れていた身体を斜めからもう一度断ち切った。
 それが崩れ落ちる前にもう一人を首と腹と膝で横三列に解体した。
 戦闘と呼べるものすら起こらなかった。
 血が飛沫く。路地裏は数秒で三人分の屍と血で埋まる。屍山血河というには足りないが、狭い路地裏を満たすにはとりあえず充分だった。
 そして後に取り残されたのは彼と少女だけである。
 路地裏の血の河の最奥に一人の少女が座り込んで彼を見上げている。
 乱れた着衣はパジャマであり、状況から察するにちょうど襲われようとしていたところなのだろうか。
 襲われたショックでそうなのか、大量の血を眼にしたからそうなったのか、或いは元よりそうだったのか、少女の大きな瞳に意志はない。パジャマは薄黄色の無地であり、それは医療的な雰囲気を醸し出している。先の三つの候補から上げるなら、少女は三つ目であり、何らかの病院から抜け出してきたとも考えられた。
 無論彼がそのようなことに興味を向けることもなく、彼は少女に背を向けて歩き出した。彼は一週間に一回の夜に、三人しか殺さない。如何なる理由でそのように回路が作られたかは知らないが、そうなってた。
 ねぐらに歩く彼の後ろに足音がついてきていた。先程の少女がついてきていた。
 パジャマにはおびただしい量の血が染み込んでいてさぞ重そうに少女は歩いていたが、しかしその速度は決して緩むことはなかった。元より彼はゆっくり歩いていたので、少女がついていくのも容易だった。
 彼の外形は、黒いロングコートを身に纏った、ざんばら髪の十代半ばの少年だった。少女は十歳かそこらで、彼と同じ色の髪を腰辺りまで長く垂らしていた。兄とその後ろを付いていく妹のような構図である。故にその分、隠すでもなく彼が持っている黒鞘の太刀と、少女が着ている血濡れの服は異様だった。
 しかし彼の周りには原則的に人がいないので気にすることはない。それは正に原則であり、或いは摂理と呼んで差し支えないものでもあった。自然の、ではないが。
 彼の視認できる範囲からは人がいなくなる。それは彼を恐れてのことではなく、一種の本能的なそれと感じられない忌避、危険感知であるらしかったが、彼も他の誰もそれを知ることはなかった。知ることなく彼を避けていた。
 彼に斬られる者は、運悪くその本能が働かなかったり、元より本能を持っていなかったり、他の事に集中していたりするものだけだった。そして彼は自ら接近してくるものは斬ろうとせず、故に斬られるのは文字通り運悪く忌避できなかったヒトの中で、最初の三人だけである。それ以上の人間にあっても、彼は斬ることなくその場を立ち去る。叫ばれようと撃たれようと頓着せずに歩み去る。
 その日はそれ以上人に遭うこともなく、彼は寝床に辿り着いた。
 彼の寝床はマンションの一室である。彼がまだヒトだった名残の頃から使い続けている場所である。彼は夜以外ここを出ず、彼は忌避され続けているから、誰もこの部屋を気にしたり訪れたりするものはなかった。
 部屋に入る。少女も続く。彼は電気をつけなかった。彼には不要であるからだ。
 コートをソファに脱ぎ捨てて彼は脱衣所に入り、服を脱いでシャワーを浴びた。少し厚手の服に着替えて部屋に戻った。冷蔵庫から適当に食料を取り出し、調理することもなく彼は食べた。味わっている様子もなくただ口に運んで咀嚼し飲み込む。それは作業であるのだから。
 食べ終わった彼はソファに寝転んだ。スイッチが切れたようにそのまま動かなくなった。
 部屋に戻ってからの彼の一連の行動は全て作業であった。彼の中身が既にヒトでなかろうと素体はヒトであるためヒトと同じ動作をせねば彼の身体は保てなかった。後はこの部屋と同じくヒトであった頃の名残だという、それだけだった。
 少女はしばらく立ち尽くしていたが、やがて少年と同じ動作を繰り返した。シャワーを浴びて着るものがないから同じパジャマを着て、冷蔵庫から適当に食料を取り出して齧って、ソファの横で寝た。少女は白痴というわけではなく、ただ自分の意志がないだけだった。
 それは彼に似ていた。
 或いは彼が似ていた。
 
 そして夜は終わって朝が来て昼が過ぎてまた夜になるのが七回繰り返されて。
 
 彼はコートを羽織って太刀を持って部屋を出た。彼女も一週間前と同じ服のまま彼の後ろをついていった。
 後ろに付いてくる無防備な少女を、しかし彼は斬らなかった。彼は振り返らなず、あくまで進行上で見つけた者しか斬らないからだ。故に、後ろにいる彼女は斬られることはない。
 その日の獲物は公園で情事に耽っていた男女二人と、別の場所で工事現場に立っていた中年男性だった。工事現場には他にも何人か人がいて、それらは残らず叫んで逃げたが、彼が追うことは勿論なかった。
 ノルマを果たして彼は帰投した。シャワーを浴びて出ると少女が突っ立っていて、彼と入れ違いにシャワーを浴びた。取り出した食料を咀嚼する彼の横で、少女も同様にそれを食べた。彼がソファーに眠り少女はその横で寝た。

 それがしばらく続いた。彼と少女の生活とも呼べない生活である。
 夜に置き、外に出て、屠殺し、寝床に帰り、シャワーを浴び、食料を摂取し、眠る。
 それにより変化は微々たるもので、十日に一回補給していた食糧が六日に一回になったことや、ソファで寝るのがいつしか少女のほうになっていたというその程度のことだった。

 却説。
 それが一ヶ月か二ヶ月か続いた時のことだった。
 彼が獲物を探して歩いていると周囲を何人もの同じ服の人間に取り囲まれた。青一色。青い帽子。とりあえずは統率の取れた動きで全員銃を構えている。
 止まれ、止まらんと撃つぞ、と言われたが、無論彼は止まることはなかった。これまでにも何度も殺したその過程で、こうして取り囲まれることも何度かあった。恐らくは偶然かれを眼にした者が通報するというところであろうが無論彼がそんなことを知る由もない。その度に彼はそれを抜けてねぐらに帰った。向かってくるヒトを殺すことを彼はしない。
 そしてそれは今回も同じだった。彼は囲まれても一度を足を緩めることなく歩いていた。
 とうとう銃声が聞こえた。恐怖のあまり人間の一人が発砲したのだった。この皮切りもいつも通りだった。弾丸が彼に迫って、しかし彼はそれを切り落とした。続けて彼に向けて幾つのも弾丸が放たれ、彼は幾つもの弾丸を切り落とし、

 背後で、どさり、という音が聞こえて。
 
 初めて彼は反応した。足を止めた。歩行回路が止まり、振り向いた。
 振り向いた先には少女が倒れており、脇腹から血が流れ出していた。その量は結構多く、放っておけば危険な量のようだった。
 彼は沈黙し、無表情を保ったまま、少女を見下ろしていた。
 ヒト達は何か叫んでいた。慌てふためいているのか混乱しているのか。
 そしてやがて、彼は少女を抱えた。
 抱えて、駆けた。
 歩行し屠殺するモノである彼が、歩行せずに駆けた。
 目の前に銃を構えたヒトが二人いた。向かってくるものを殺さないはずの彼は、進行の邪魔でしかなかったそれらを右手の剣で完膚なきまでに解体し尽くして駆け抜けた。
 少女を抱えたまま夜の街を駆け抜けた。
 すぐに寝床に辿り着き、彼は少女をソファに横たえた。血に染まったパジャマを脱がし、血を拭き取り、部屋の隅にあった薬箱を引っ張り出してきて手当てをした。その手の動きに迷いも躊躇いも焦燥もなくしかしこの上なく適切で、そしてただの作業のようだった。幸い銃弾は血管を一つ傷つけただけで済み、適切な処置をしてきちんと看病してやれば回復する程度のものだった。
 応急処置が終わり、彼は少女に服を着せて、そこで気付いた。
 まだ二人しか殺していないことに気付いた。
 そして目の前には少女がいた。これまで後ろにばかりいた少女が今は目の前にいた。
 そして、この部屋の中にはもう一人いた。
 そう、もう一人。
 
 彼は少女から目を逸らすと、黒鞘から太刀を抜き放って、何の躊躇いもなく観測者であり作者である私の首を刈った。
 
 却説。
 しかしまぁ酷い話である。酷い話である。
 首を斬られて意識が途絶えるまでの十数秒間、私はその事実ばかりを頭の中で反芻していた。
 故にこれから先の話を私は知らない。彼と少女がどうなったか、それは結局私の預かり知らぬことである。









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