朝顔




 わたしは夏が嫌いではない。
 無論、その暑さたるや、病弱なわたしにとっては厳冬の冷気と同じく、身を苛むものでしかないのであるが、どちらかというと夏のほうがましなのである。その辺りは、わたしがまだ元気であった幼少の頃、夏の河原でよくよく遊んだことに起因しているのやもしれぬ。
 わたしのふるさとは雪が降らず、夏が暑いばかりの場所であった。山が在り、木々が生い茂り、視界に緑が入らないことは一度としてない始末である。あの頃はそれが当たり前であったがため気づかなかったのであるが、今にして思えば、あれはかけがえのない場所であったのだと、そう思えるものである。わたしが老いた証左である。
 老いた老いたと言いながら、戸籍上はわたしはまだ二十と六である。肉体的には男の盛りであるのだろうが、あいにくわたしは心のほうが枯れ切っているのである。老いたと自称する由縁である。わたしのそう多くはない友人達は、誰も彼もが妻子を持って、幸不幸はともかくとしてそれぞれ生活を営んでいる。少なくとも独りで生きてはいないのである。
 わたしは早くに両親を亡くし、以後は祖母の庇護下で成長してきた。その祖母もつい四年前に他界し、以来わたしは独りである。別段それを哀しいとも苦しいとも思うことはない。人の死を泣き叫べるほど幼かったわけではないし(この頃からきっと枯れていたのだ、わたしは)、祖母から受け継いだわずかばかりの資産とこの家で、のんべんだらりと暮らすのはなかなか性にあっているとさえ思えるのである。寂しい、などという気持ちも特にない。
 一応職業は物書きであるので、細々とそれを続けながら日々を生きているのである。そもそもわたしは小食であったし、また着飾ることも何も知らない人間であったから、金を使うという習慣それ自体から縁遠いような生活である。金は貯まらないが減ることもない、まぁ、それなりに気楽な生活であった。
 だが、実を言えば身体のほうはそれなりに深刻である。月に、二、三回は血を吐く始末で、身体の調子は極端に良い時と悪い時がある。
 病名は忘れてしまった。
 不治の病だったろうか、どうだったろうか。とりあえず放っておいても悪化しないかもしれないが下手をすれば死んでしまうのだそうだ。いい加減である。わたしが。
 まぁ別にいつ死のうとも取り立てて未練はないのである。かといって進んで死にたいわけでもないのである。結句、だらだらと日々を生きているのがわたしなのである。うむ、自堕落。
 そんなわたしにもただ一つ楽しめるようなことを持っている。
 植物観賞である。これは気楽で良い。別に繊細にできている植物を育てるわけでもなし、友人知人からたまたま貰い受けた種や苗を適当に育てるだけである。これで植物というのは中々生命力の強いもので(私とは大違いだ)、鉢に植えて水をかければまず育つ。
 そして今私が育てているのは一鉢の朝顔である。近所の空家の塀に勝手に伸びていたものから二つ三つ失敬した種から生えたもので、今では添え木に蔓を巻きつけて立派に育っている。
 蕾が膨らんだのを、少なからず楽しみにして目覚めたのが、今。
 下駄を突っかけて縁側から庭に出た私は、確かに花開いた朝顔を目にし、その葉の一枚に鎮座している少女の姿を確認した。
 さて。
 前述の通りわたしは病の身であり、月にニ、三度は喀血するような病人である。
 だがまさか幻覚症状まで現れるとは。
 見間違いかと思って目を擦って改めて見てみるが、相も変わらず少女はそこに座している。
 年齢は十代半ばから後半か。大きさは大体五寸ほど、実際の人間の十分の一程度の大きさであろうか。女に疎いわたしが言えたことではないかもしれないが、まあ可憐と呼べる容姿ではあった。
 ふと手を伸ばしてみると、指先が少女の頭に触れた。少女は少しだけ身を竦めるが、抵抗はなかった。
 触れられる、ということはこの少女が幻覚でない証左である。わたしは指先を離した。
 それともそれすらも幻覚であるのだろうか。幻の感覚であるから幻覚という。指先に残る感触も、わたしの頭がわたし自身をごまかしているのではないだろうか。結句人間とは、自分の脳を通して外界を理解するようなものだからである。
 まあ、いい。
 幻覚であれなんであれ、とりあえず少女がここにいることは認めなくてはなるまい。いるのだから。
 とりあえずわたしは毎朝のように植物に水をやるべく如雨露に水を満たした。順々に鉢植えに水を注いで、少女の乗る朝顔の番になる。朝顔の根元にそっと水を注いでやると、少女はほぅ、と柔らかな安寧の笑みを浮かべた。やはり朝顔の精か何かなのだろうか。仕事上本は良く読むほうではあるが、そういった話はとんと聞かないのだが。
 まぁ喜んでくれているようなのでそれは悪い気はしない。水をやり終え、私は縁側から家に上がった。
 すぐそこが私の部屋で書斎である。茶漬けの一杯で朝食を済ませたわたしは、団扇片手に文机に向かった。この家には扇風機もないのである。
 暑さのせいで筆が進まない、というのは、夏に対して我儘だろう。だが進まないものは進まないのであり、それは少々癪である。いやわたし自身のせいであるが。
 ふと息を吐いて少女のほうをみると、ずっとこちらを眺めていた。わたしと視線が合って、少女はにこりと微笑んだ。文字通り、花のような笑みである。
 わたしは何となく気恥ずかしくなり、硬い鉛筆の先でこめかみを掻いて目を逸らした。また執筆に取り組むわけだが、そうしている間にも少女はずっとわたしを見ていた。
 やがてその視線にも慣れた頃、丁度時計が十二時を指した。
 素麺で昼食を済ませ、しばらくすると友人が一人訪ねてきた。
 どこまで行ってきたのか全身日に焼けており、背中には西瓜を背負っていた。
 その西瓜と、生野菜をいくつか土産に貰い、わたしは彼を茶の一杯でもてなした。そのくらいしか出すものがないことは彼も承知している。
 試しに、庭の朝顔に少女がいるかどうか尋ねてみたが、どうやら彼には見えないらしい。それどころかわたしの頭がおかしくなったのではないかと心配されてしまった。それについては否定できないので曖昧に返事をして茶を濁した。
 三時間ほど居座ってやがて友人も帰った。夕食はこの野菜になるだろう。
 日没になってふと朝顔を見やると、そこに少女の姿はなかった。やはり幻覚だったのだろうか。
 適当に夕食を済ませ、九時頃まで原稿を書いて寝た。〆切までにはまだ大分余裕があった。
 
 朝起きて縁側に出ると、そこには少女がいた。
 やはり、というか何と言うか。幻覚ではないらしい。また水をやった。微笑った。
 その日は誰も訪ねてくる者もおらず、わたしは一人黙々と筆を走らせていた。わたしは少女のほうを向かないが、少女は相変わらずわたしを見ているのだろう、と、そんな奇妙な確信があった。
 夜になるといつの間にかまた少女は消えていた。疑問に思って、庭に下りて朝顔の周りをしげしげと眺めてみると、鉢の脇に今朝咲き昼にはもう萎んでいた朝顔の花が一つ、落ちている。
 そう言えば、少女は朝顔の精だった。おそらくは。
 推測するに、花がまだ茎についている間は姿を保っていられる、ということなのだろうか。少し興味を持った。
 とはいえ、明日花が落ちるまで観察しているつもりもない。見る機会があったら幸いという程度だろう。
 わたしは夕食を済ませ、この日は早めに寝た。
 
 次の日はぶらぶらと町に出た。わたしの家も古いが町も同じくらいに古いだろう。見る家々全てがぼろぼろで、瓦が剥げているのが当たり前である。
 商店街に出るとそれなりに賑わっていた。にしては少々人々に焦燥感がある。食料を買いに行った顔馴染の八百屋に聞いてみると、明日は台風が来るらしい。
 全然知らなかった。家にはラジオもなく、新聞も取っていない。そもそも外に出歩かないような身である。そういえば妙に空気が湿り気を帯びていると思っていたが、そのせいだったか。
 ともあれ、これで悠長に構えている場合ではなかった。まぁ、今すぐ来るわけでもないのだしいきなり慌てる必要もないのであるが。わたしの家は古いが、頑丈である。非常食の備蓄がいくらかあったはずであるから、心配には及ぶまい。
 とりあえずわたしは予定通りの買い物を済ませ、そそくさと家に帰ったのである。
 雨風に備えて雨戸を嵌め、庭にあるものは物置か家の中に運び込んでいく。ふと例の朝顔に視線をやると、あくせく働くわたしを、不思議そうに小首を傾げて見ている少女がいる。
 元より、彼女は自然の中で生きるものである。ならば、その自然の流れに対し慌ただしく動いているわたし達の姿は、或いは彼女には分からないのかもしれない。
 朝顔の鉢は一番最後に運び込んだ。持ち上げる際葉が揺れたが、その上の少女が転げ落ちることはなかった。平衡感覚が優れているのか、離れられないのか。そんなことをふと思いつつ少女を見下ろすと、やはり小首を傾げて微笑してわたしを見るのだ。
 時間は過ぎて夕刻。外では風が吹き始めている。わたしが夕餉の支度をしている間に彼女はまた見えなくなってしまった。花が下に落ちていた。
 わたしは夕餉を済ませ、執筆に取り掛かった。だがそれも二時間と経たずして妨げられることになる。電線が切れてしまったのか、部屋の明かりが唐突に落ちてしまった。手探りで手元に置いておいた懐中電灯の明かりをつけるが、これでは仕事になるまい。潔く諦めて、わたし寝ることにした。
 とその前に、ふと思い立ち、わたしは朝顔の鉢を枕元に置いておいた。取り立てて理由があったとは我ながら思えないのだが。
 最後に戸締りを確認し、わたしは布団に入った。
 わたしは寝つきのいいほうである。五分で眠りに落ちた。
 
 鼻の頭に冷たい感触を覚え、わたしは身を起こした。懐中電灯をつけてみると、どうやら瓦が吹っ飛んだのか、わたしの丁度真上から雨漏りがしていた。
 わたしは渋々起き上がり、あまり使っていない鍋を下に置いた。鍋底に落ちる水滴が、規則的に軽い音を響かせる。
 時計を確認すると、朝の六時近くだった。中途半端な時間に起こされて、眠くもない。仕方なしに、わたしはそのまま起きていることにした。
 懐中電灯の光が弱まっていたので電池を取り替えようと思ったが、残念なことに電池の替えはなかった。不覚である。仕方がないので仏壇に置いてある蝋燭を失敬し、それに火を灯して視界を得た。
 朝顔が眼に入る。ゆらゆらと揺れる蝋燭の火の中、朝顔の花が一つ、開きかけていた。
 することもないので、わたしはそれをじっと眺めていた。我ながら暇人だと思うが、まあいい。
 わたしの視界の中でそれはゆっくりと花開いていく。十分、二十分、いやそれ以上をかけてひどく緩慢に。しかしわたしは飽くことなくそれを眺めていた。
 ふと眼を凝らしてみれば、朝顔の花の裏に少女がいた。寝ている。今までまともに観察したこともなかったが、こうして少女の眠る姿を見るのは初めてであった。
 外の嵐も段々と弱くなってきている。
 やがて、花は完全に開ききった。それと同時に、少女は瞼を開き、身を起こす。
 眼が合うと、少女は少しだけ微笑んだ。わたしは笑みを返すような人間ではないので、とりあえず指先で頭を優しく撫でた。
 と。
 いきなり肺の底が詰まるような感覚に襲われる。ぎりぎりと万力で全身が締められるような感覚。わたしはその大蛇に巻かれたかの如き圧迫感に身を折りながら、ああまたか、と冷静に思っていた。
 食道と気管支から締め出された息が喉につかえ、直後、それは液体となって迸る。胃液混じりの鮮血が口から溢れ、畳に紅い染みを点々と穿った。
 わたしは血を吐く口を右手で押さえながら、懐中電灯を左手に立ち上がって流し台へ向かった。着くなり、溜め込んでいた血がごぽりと溢れ一息に流しを紅く染色する。一通り吐き出して落ち着いた頃、わたしは蛇口を捻り、直接そこに口をつけて、吐き出した血を補うかのように水を流し込んだ。半升ほど呑んで、また吐く。食道から喉、口腔までを洗浄するように。
 ぜぇぜぇと肩で荒い息をしつつ、わたしは薬箱から医者に処方してもらった薬を取り出し、適量を飲んだ。
 重い身体を引き摺り引き摺り、私は布団まで戻った。そこには相変わらず朝顔と少女がいて、口元に微笑みを浮かべてわたしを見ていた。朝顔の鉢の一部に血が付着していた。
 ああ、と思う。この少女はきっとわたしが血を吐いたことに対して何も思っていないのだ。
 それはそうである。彼女は朝顔の精なのだから、人間の苦しみなど理解できまい、否、知らないのだろう。人が雨風を凌ぐ理由を知らないように。
 それは何とも当たり前のことであるのだけれど、しかし目の前で自分が血を吐いているのに何の反応もないのは少々残念だなぁ、とか、つまらないなぁ、とか、全く無関係で取り留めのないことを考えつつ、わたしは意識を手放した。
 
 目覚めたのは昼である。部屋が暗いのでとんと分からなかったが、時計の見てそれと知れた。満杯近くになった洗面器が布団に陣取っており、わたしはその横に寝ていた。
 外では雨音の代わりに雀の囀りが聞こえる。台風は去ったらしい。わたしは起き上がり、縁側に出た。もう身体の調子は大分良くなっている。
 雨が止んだのならもう意味も無いので、雨戸を全部取り外した。外は中々清々しかった。爽やかな湿気を孕んだ空気が白雲の隙間から覗く太陽に照らされ綺麗に輝いている。隣りの家の屋根瓦が半分くらい吹っ飛んでいて、家の住人が一家総出で早くも修復に取り掛かっていた。隣りの家はわたしの家に負けず劣らず古かった。
 わたしもまた雨が降る前に屋根の修理をせねばなるまい、と思いつつ、家に避難しておいた植物の鉢を外に出す。
 やはり最後に朝顔の鉢を出す。少女は、水を含む大気の中にあって、心底嬉しそうに微笑んでいた。
 わたしはそれに一瞥をくれると、梯子と工具を探しに物置に行った。
 
 さて。
 台風が過ぎてから五日が経ち、六日が経ち、一週間が経った朝。
 その日、少女はもう朝顔の上にいなかった。当然である。朝顔の花が咲いていない。
 おそらく明日になってもいないだろう。蕾の一つもないからである。
 つまりもう会えないということだが、別段わたしは哀しいわけでもなかった。両親と祖母、都合三人の親類の死を目の当たりにしてすっかり枯れ切っていたわたしは、少女がただいなくなったくらいで哀しいはずもないのである。
 少女はただそこにいただけであるのだし、わたしは水をやっていただけなのである。
 これはわたしの本心である。わたしは自分に嘘をつくことが上手くない。但し確証はない。人間は自覚のないままに自分自身を騙すことがあるからである。例えば少女が朝顔の精であったのか、わたしの幻覚であったのか分からないように。
 だからわたしが少女がいなくなって本当はどう思っているか、など、分からないのである。そしてこれは誰にも分かるまい。何故なら少女を見たのはわたしだけであるのだから。
 考えても仕方のないことである。全ては。わたしはそう区切りをつけるといつも通り朝顔その他に水をやり、いつも通り原稿に取り掛かった。

 それから更に数日が経過した。その間に何かあったかと言えば、西瓜を土産に持ってきた件の友人が、更に日に焼けた姿で今度は二つ西瓜を持ってきたぐらいのことである。それとまた血を吐いた。
 もう一つ。朝顔が枯れた。花を咲かせなくなった植物は枯れるものであるから、それはまぁ当然のことである。
 朝顔には種がついていた。幾つかの小さな房に幾つか種が入っていた。
 わたしはそれを取り出し、ふむ、と独り頷いた。
 これを植えれば、また来年少女が出てくるのであろうか。さて、どうだろう。
 まあそれを確かめてみるのも悪くない。
 相変わらず身体の調子は良くない。悪化はしないがいつぽっくり父母の菩提に逝くとも知れない身ではある。
 だが、折角こうして種が残っているのだ。どうせならさっきの思いつき、確かめるまで生きてみるのも良いだろう。
 次の夏までは、まぁそれなりに頑張って生きてみようと思った、そういう次第である。




















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