Very Very Sweet













 注:
 これはラブロマンスです。ゲロ甘です。そういうのが苦手な人はお引取り願います。
 …………………………………………………………………………ラブロマンスですよ?





































 異常な人間は異常だ。
 だが純愛する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 さて困ったぞと彼は頭を悩ませた。
 唐突に人を殺したくなってしまった。
 彼は殺人鬼である。故に人を殺すのは当然だったが、彼は自分が殺人鬼であることにちょっとばかり矜持を持っていて、だからこそいつも万全を期して、そして出来るだけ散り様が美しくなるように殺す。
 彼はどちらかと言えば性善説を支持していた。つまり人間は本来皆善い存在であるという論だった。最初に唱えたのは古代中国の誰かだった気がするが覚えてない。
 それは兎も角善いものは報われなければならないと彼は思う。情けは人のためならず。誤解されがちだがこの言葉は、「情けをかけるとその人のためにならない」という意味でなく「人に優しくすることは巡り巡って自分のためにもなる」という意味だ。現代、日本の言葉が本来とは違った方向に傾くのを彼は少し哀しく思う。彼は国語の成績は良かった。
 で、善いものは報われなくてはならないと思う。人間は本来全て善い存在であり、だからその死に様くらいは決して醜くあってはならないのだ。例えば少女が10tトラックに撥ねられて整合性のないくびれた肉塊になるのは彼には耐えられない。それは美しくない。それが四十代後半の脂ぎった中年男性であっても、八十歳を超える枯れ枝のような老婆であっても変わらない。
 どんなものにも美しさと醜さは同居する。ただ見方によって変わるだけなのだ。だから美しく仕立てようと思うのなら、まずその美しさを出来る限り引き立てるようにしなければならない。
 そういった意味で彼は自分を芸術家だと思っている。ダヴィンチやミケランジェロなどの先達には及ぶべくもない未熟な身だが、それでもできる限りのことを為すべき義務が自分にはあるのだと彼は思っていた。ついでに彼が好きなのはギュスターヴ・ドレである。
 だから万全を期す。まず殺すに相応しい標的を決める。標的に特定の条件は必要ない。素材選びはいつだって自らの内から汲み上げるセンスに任せている。ともあれそれで素材が決まったら、次は場所と道具である。場所は大抵決まっている。薄暗く、しかし少し探せば見つけられる場所がいい。いくら綺麗に仕上げても殺人に拠って為すのは当然屍体であるのだから、まさか白昼に堂々と飾るような真似は彼にはできない。その程度の常識は彼も持っている。見つけやすくてはならない、というのは、早く見つけてもらわないと鴉や鼠が屍体を荒らしてしまうからだ。そうなってしまうのは彼にとってとても哀しいことだし、また折角綺麗に死ねた者が醜くなってしまうからとてもとても可哀想だ。
 嬉しいことにこの街は場所には困らない。ビルが多く、よってその間もたくさんある。ビルの隙間というのは少し汚れてはいるが、袋小路になっている場所などでは一番奥に立つと開いた四角い天から淡く注ぐ陽光によってまるでそこが聖堂であるかのように錯覚してしまう。そういう場所に綺麗に仕上がった屍体を置くことは、とても相応しいことであるように彼は思う。
 道具は選ぶまでもない。彼はナイフを愛用する。麻紐や鎖なども使ったりするが、それはどちらかというと最後の仕上げに必要なものだ。兎角彼はナイフを愛用する。自宅の箪笥の中にはナイフがたくさん収められていて、どれも彼自慢のコレクションだ。どれも綺麗だ。その綺麗なナイフが綺麗な素材を更に綺麗に仕上げるのはとてもとても嬉しいことだ。
 そうして全ての準備が整ったら彼は殺す。実際には、彼は常々道具を持ち歩いていて、殺すべき場所の所在は暗記しているので、素材選びが一番最後の作業となる。というより殺す人間を選んでからわざわざ道具や場所を探しに行っているとその間にいなくなってしまうので、そんな余裕はないのだ。
 そういえばと彼は懐古する。この前殺した女性はとても綺麗だった。二十代後半だろうか、如何にもできるオフィスレディという感じで、眼鏡のよく似合うキリッとした感じの顔立ちが美しかった。
 あの時はオフィス街の中心近くにあったビルの隙間で殺したのだったか。その顔が苦悶に歪んだまま逝くのは可哀想だったし自分も嫌だったので、まず頚椎を砕いて一瞬で逝かせてあげた。
 両の手をナイフで壁に打ち付けてそれから開腹。女の人だから肌を晒すのは恥ずかしかろうと配慮し、胸の部分の服は切らず、腹部を鳩尾まで切り裂いて心臓を露出させた。死んだばかりだったので心臓の鼓動はまだ止まず、その微弱な振動を彼は愛した。それが止まってしまってから、彼は仕上げに取り掛かった。零れ落ちた臓腑は足元に置いてあげた。散らしても良かったが、それはこの前やった。
 今回のコンセプトはシンプルイズベストである。ここ最近、全身を華のように裂かせてみたり試行錯誤していたのだが、原点回帰も悪くない。
 出来栄えは、素材自体の良さもあって素晴らしいものだった。薄暗い灰色の袋小路で、両腕を杭打たれた女性がこうべを垂れている。肉の隙間から垣間見える心臓と、開腹した中の下方にある子宮が美しい。その形の美しさから、彼女にはまだ子供がいなかったのだろうと彼は思った。カラになった身体は肉の内壁が見えて、きっと解剖学を学ぶ人々の勉強になるだろうと思う。心臓の上の、喉に程近い位置での食道と、腸の終わりとで切断、摘出され、足元に置かれた臓腑はまるで祭壇に捧げられる供物のようで、彼女に過去の聖人のような神々しさを与えていた。
 あの出来は素晴らしい、と彼は自画自賛した。その日家に帰ると早速そのことがニュース番組で放映されており、入り口にはバリケードが張られていた。警察や鑑識や第一発見者の人達はあの出来栄えを見てどう思ってくれただろうか。美しいと思ってくれたか、それとも醜いと思われたか。それはどちらでも良い。皆それぞれ価値観が違うのだし、勿論、自分が美しく仕上げたつもりでもそれが他人にとって美しいとは限らないのだ。ただ、見てくれた人のなかに一人でもそれに魅せられた人がいたなら至福に勝ることはない。
 ネットの巨大掲示板ではどこから流出してるのか早速現場の写真が流れていた。実際どうやってこういう画像が流出するのか彼は分からない。鑑識の人間などがこっそりやっているんだろうか。最近の警察は不祥事多いし。嘆かわしいことに。
 ネットで飛び交う忌憚ない意見が彼は好きだ。匿名性故に皆本音で語り合う。その大半が自分の行為そのものに批判的であり、かつ罪を追及するものだったが、それも仕方ないと思う。何故なら自分のやっていることは社会的には悪であり害である。彼だってそのくらいの常識は持っているのだ。だからと言って罪悪感はないしやめるつもりもない。
 だって殺人鬼だし。
 第一、彼は自分に正直な人間である。殺したいものは殺したくなるのだから殺すのだ。家族や友人を失うことになってしまった人達には申し訳なく思うが、交通事故なんかでぐしゃぐしゃになって死ぬよりは綺麗なのだから事故にでもあったと思って我慢して欲しい。無理かもしれないが。
 彼自身早くに親を亡くしている。それはとてもとても哀しいことだ。彼は親を愛していたし、親も彼を愛していた。なので家族を失った人の気持ちは良く分かる。
 でも彼は殺すことをやめない。
 だって殺人鬼だし。
 だからせめて美しい末期の姿を与えようと思うのは、自分なりの罪悪感の発露なのかな、と彼は思う。生憎心理学や自己分析は得意ではないのであまり分からないのだが。
 さてここで話は最初に立ち返る。
 彼は唐突に人が殺したくなってしまった。
 拙い。それは拙い。
 彼は自動車学校からの帰りである。この前十八歳の誕生日を向かえ、高校最後の夏休みを利用して彼は自動車学校に通っている。彼の住むマンションから徒歩二〇分で行ける距離にあるので実に嬉しい。
 ただ、流石にそんなところにナイフだの何だのを持っていくわけにもいかない。バレたら即刻追い出される。今だって小型のナイフ三本しか持っていないのだ。
 なのに今日に限って唐突に人を殺したくなってしまったのだ。最後に殺してからもう一月近い。前にも何度かこういうことがあって、ろくに選びもせず手持ちの道具で殺してしまったことがあったがあれは封印したい記憶の中でもベスト5に入る。出来るだけ頑張ったが、あんなやり方では殺した人間も浮かばれない。自分の汚点である。
 あんなことは繰り返したくないのである。しかもこの周辺には良い場所がなかった。見つかり易すぎるか見つかり難すぎるという両極端しかない。見つかり易いと殺している現場自体が見つかってつかまってしまうかもしれないし、見つかり難いと見つけてもらえない屍体は一晩で鴉や鼠に食い荒らされてしまうだろう。それは避けたい。見つかって捕まるのは当然だと思うが、牢屋に入れられたりなんかしたら自由に殺すことができない。殺人鬼としてそれは苦痛だ。そうなるともう殺す相手は自分しかいない。けど自殺するつもりはない、というか彼は自殺できないのだ。だって自殺したら自分の身体を綺麗に仕上げることなんてできない。
 だからといって鴉や鼠に啄まれたり齧られたりする屍体はもっと可哀想だ。襤褸屑のように成り果てたカラダはとてもとても惨めでとても目を向けていられない。
 自宅に帰るまで我慢できるだろうか、と彼は思案する。自動車学校を出て既に十分。だから家につくまで後十分、自室に帰ればナイフを愛で、今日の夕食の準備としてこの前買った肩ロースの塊を削ぐことで紛らわせるが、それだけの間耐えられるだろうか。自信がない。
 とりあえず彼は人通りの少ない道を選ぶことにした。人に会わなければそれだけ殺したくなる人間に会わなくなるからである。
 ビルの隙間を通り抜けて裏路地に出る。
 この街は割りと奇妙な構造をしている。廃棄されたビルの数がやけに多いのだ。もう十年以上前のことなのであまり詳しいことは覚えていないが、都市化が進み多くのビルやマンションが建てられていく中で、その中でも最大手の建設会社の中で不祥事が発覚したのだ。結果、その建設会社は潰れ、ほとんど完成していたビルなどもそのままの状態で放置された。バブルが弾けてからはそれらの土地の買い手もつかず、放置されたまま今に至る、という流れである。元々中途半端な地方都市である。無理矢理最先端になろうとしても途中で地が出てしまうのも仕方ないのかもしれない。
 そんな場所なので、ちょっと大通りを外れれば途端に誰もいない道に出たりする。
 目に付く人は少ないし、その中に取り立てて殺したいと思うような人間がいなかったことに安堵する。何とか大丈夫そうだ。
 ほっと息をついて歩き出した彼に、
「──こんにちわ」
 と声がかけられた。
 何となしにその方向を振り向いて──彼は絶句する。
 廃棄されたビルの間に一人の少女が立っていた。
 彼は恋をした。
 結論から先に言ってしまえば彼は恋をした。
 少女は可憐だった。年齢は同じか少し下だろうか。長い、緩やかに波打つ黒髪に、カラーコンタクトなのか生粋なのか琥珀色の虹彩を持っていた。顔立ちは細く、整っていて、唇は鮮やかな色をしている。細い首筋が美しかった。着ているのは白のワンピース。今更そんな服流行らないだろうに、しかしその白は見事に少女に似合っているように思えた。履いているのは赤いサンダル。細く白い脚が、彼の目を惹いた。
 けれどそんな外見的なことよりも、何より本能的な部分で、彼は彼女に恋してしまっていた。
 ……一目惚れって初めてだなぁ。
 そんなことを彼は考えた。そしてとてもこの少女を殺したくなってきた。
 少女は美しかった。美しすぎた。その美しいものを、もっと美しい姿で終わらせてあげたいと彼は思った。彼とて男である。十八年の人生の中で、何度か恋もしてきた。けれどこんなに熱烈な想いを抱いたのは初めてだった。
 兎に角目の前の少女を抱き締めたい。抱き締めて、想いを通じ合わせ、セックスして、その獣のような時間の中一番美しい彼女の姿を目に焼き付けながらその首を華のように折り取って一瞬で殺してあげて綺麗に綺麗に仕立ててあげたいと思った。
 だから彼はこれからの選択をしくじらないように気をつける。どうすれば彼女と接点を持ち、愛し合い、殺せるだろうかと。彼女に嫌われたのならそれは叶わないだろう。嫌われたら嫌われたで彼は少女を殺すだろうが、だがそれは彼の望んだ結末ではない。彼は彼女に恋しているのだから、できれば愛し、愛された状態のままで少女を終わらせたかった。
 故に彼は行動を模索する。
 とりあえず、挨拶されたら挨拶を返すべきだろう。
「こんにちわ」
 できる限り朗らかな笑顔で答える。学校の友人が言うには、自分はどうやらランク的に上の中らしい。悪くない、ということだ。
 反応は悪くない。彼女はにっこり笑う。彼はそれをとても可愛いと思った。
「お花はいりませんか?」
 笑いながら彼女はそう言う。お花屋さんなのかな、と思うが、ここは無論花屋や園芸店の店先ではないし、彼女は花を持ってすらいなかった。
「花なんて、どこに?」
 問うと彼女は、自分の胸に手を当て、
「──ここに」
 そう言った。
 成程、と彼は得心がいった。
 つまり彼女は売春をしているのである。花を売る、という言葉は、即ちそういう意味を込めた言葉としても使われるのだ。
 嘆かわしい、と彼は思った。現代日本は言語だけでなく人間性まで腐らせていくのか。
 嗚呼、と心の中で嘆くが、彼だって男である。惚れた女の子とヤれると聞いてヤらないほど不能ではない。それにそういう関係から始まる恋も悪くない、安っぽいドラマみたいで。余談ではあるが彼はB級映画やつまらないメロドラマをこよなく愛している。
「いいよ、買おう」
 値段は問わない。それは流石に無粋である。金銭面について問わないのは金に余裕があると思われそうでそれはそれで嫌だったが、まぁ仕方ない。
 了承の意を示すと、少女はまたにこりと笑った。
「ありがとうございます。じゃあ、こちらへ」
 そう言うと彼女は手招きして、彼をビルの奥へと誘った。奥には扉があって、中に入ると階段があった。多分非常階段か何かだろう。
 軽やかに足音も立てず上っていく彼女を追いながら、彼は問うた。
「いつもこんなことを?」
「はい」
 何でもないことのように彼女は答えた。それに彼は密かに、処女じゃないのかぁー、と肩を落とす。吸血鬼ではないが、やはり襲うのは処女に限ると彼は思う。それはセックスに関してもそうだし、殺すにしてもだ。性器に傷のない少女の身体は、本当に美しいのだから。
 だが処女でないにも関わらず美しいこの少女に出会えたのは、本当に幸せなことだろう。そのことを彼は神に感謝する。とはいえ彼は別に特定の宗教に属しているわけでもないので、ヤハウェだのアッラーだの特定の神に祈ったわけでもないのだが。
 彼は問いを続ける。
「こんな真昼間から?」
「はい」
「……お金に困って?」
 そう問うと、えーと、という迷いが返ってきて、
「まぁそんなものです」
 そう答えた。そうか、と彼は頷きつつ思考する。終わったら、彼女を自分が養うよう持ちかけてみようかと。
 両親の残した遺産が彼にはある。親類は何かにつけて彼のそれを狙って一緒に住もうとか持ちかけてきたが彼は全てそれを跳ね除けた。そういう金本位な態度が嫌いだったこともあるが、何よりこの場所を離れて他人の監視下に入ることで自由に殺人が行えなくなることが嫌だったからである。なので彼には両親の遺産が丸ごと手元に入ることになり、お陰で日頃何不自由なく過ごすことができている。幸い家事は一通りできたし、欲しいものもナイフ以外特にないのであまり減らない。ちゃんとバイトもやっている。
 だから彼女を養うことも充分に出来るのだが、そこまで考えて気づいた。自分のやろうとしていることは、親戚達と同じ金本位の行為であると。それは正直嫌である。だがそれで彼女が自分の側にいてくれるのならそれはそれで良いことなのだが。
 むぅ、と悩みつつ、それを保留する。コトが終わった後で適当に会話を続けながら考えよう、ということで思考に決着をつけた。
 次の問いを発する。
「名前は?」
 彼は名を聞いた。名前は大事だ。名前を知る、ということは、相手に対して感情移入する重要な手段である。
「徳島千早ちはやです。あなたは?」
「僕は三河五十鈴いすず。女みたいな名前だってよく言われる」
「確かに」
 屈託なく千早は笑う。つられて五十鈴も笑った。
「ここです。どうぞ」
 四階まで上ったところで千早が止まり、扉を開いた。
 彼はその中に足を踏み入れる。
 簡素な場所だった。所々を柱が貫き、窓にはガラスなどなく全てが四角い穴。無論塗装などなくて全て灰色で、それが窓から射す鋭角の光で何処か神秘的な雰囲気を抱いている。
 そしてそれらの中心に、白いスーツのベッドが一つ、ぽつねんと佇んでいる。
 五十鈴はその方向に歩き出す。コンクリートの床を靴が叩く。
 そしてベッドの前で立ち止まり、振り返った。振り返った先の千早は既に裸身。ワンピースをその場に脱ぎ捨て、赤いサンダルを脱いでこちらに歩いてくる。両手を背中に回して、惜しげもなく恥じることもなくその身体を晒し、微笑を浮かべながら。
 嗚呼。
 その姿の何と美しいことか。
 細い顎から下る首筋、そこから続く、少しだけ浮き出た鎖骨、細い肩。乳房はお世辞にも大きいとは言えないが綺麗な流線型を描いて肋骨の下に流れ行く。腰のくびれは小さいが、しかしだからこそ残る少女の幼さが、この灰色の空気の中にあってひどく美しい。細く、しかし痩せすぎではない肢体。形の良い腰と尻から下へと続く脚は、ワンピースと一緒に見た時より更に美しく見えた。音もなく、静謐そのものに歩いてくる足取りは空気を踏むように軽やか。
 駄目だ、と彼は心中で吐息した。駄目だ。全然駄目だ。全然全然駄目駄目だ。
 愛し合ってから殺したい、なんて想いが吹き飛んでしまった。今すぐ彼女を殺したくなってしまった。それは紛れない愛しさから発した衝動であり、そして美しいものを愛する芸術家としての熱い感動からのものだった。
 そう、少女は何よりも今この場この時に於いてこそ最も美しいのであると。何にも先んじてそれを理解した。性交の中、獣に立ち返る瞬間にこそ美しいなどとはとんでもない。否、その時もまた彼女は美しいのであろうが、しかし今純白の乙女として穢れなく其処に立つ様こそ、彼にとっては最も美しいものだと思えた。
 彼女は獣ではないのだ。
 彼女は花なのだから。
 故に、今殺さねばならぬのだと。
 今、この場この時に於いての彼女を、五十鈴は心の底から愛した。
 ──嗚呼、
 ──今此処で君を綺麗に殺せるのなら、僕はもう誰も殺せなくても構わない──
 殺人鬼としてあるまじきことに、彼はこれ以降殺すことすら放棄する決意を以て、彼女を殺すことに決めた。
 ナイフの位置を確かめる。シャツの下。胸の地肌に巻いたベルトに通した背中の一本、ジーンズのポケットに入れた折り畳みナイフが一本、そして靴底に隠しているものが一本。
 一番取りやしだすいのは勿論ポケットの中のものだ。それを強く意識しながら、歩み寄る千早の姿を陶然と眺め続ける。射程に入るまで。
 どうやって殺そうと思考する。結論は直ぐに出た。首を切ろう。切断しよう。その白い裸身を、赤く染めたらきっととても美しい色彩になるだろう。勿論苦痛を与えないように、首を切断した後はその後頭部に一撃を叩き込んで小脳を破壊する。できるだけ傷口は小さくするよう配慮しよう。それからどうしようか。ベッドも綺麗みたいだしそこに飾ろうか。他の部分に傷をつけるのは野暮だ。首だけ切断しよう。そしてベッドに彼女を座らせて、その膝の上に彼女の手に抱かせるようにしてみようか。そうした姿はとてもとてもとてもとても美しいに違いない。今まで自分が殺してきた誰よりも。けれど今は夏だから、死後硬直を待っていては身体は腐るかもしれない。だからって身体をモノで支えるのも無粋だろうし、大体そんなものもない。ああ、それなら自分がその横に座ろうか。そのままの状態で警察に電話してもいいだろう。彼女を殺せるならもうどうなったっていいのだから、捕まった後のことなんて考えなくていい。そうすれば、少なくとも現場に駆けつけた人達は、完成した彼女の姿を目にすることができるだろう。いきなり鑑識の人とかは来ないだろうから写真が流出することはないだろうけれど、自分以外の誰にも見られないまま彼女を終わらせてしまうよりは、いい。
 そう結論する。考えは全てまとまった。だから後は斬るだけだ。歩いてくる千早に自分も微笑む。
 そして、彼女が彼の射程に足を踏み入れ、
 
「「──え?」」

 二人同時に間抜けな声を上げた。
 聞こえたのは肉を裂く音ではなく金属音。それも衝突によるものだ。
 流れる動きでナイフを抜き、刃を出し、振るったはずの自分の右手があらぬ方向に弾かれている。それは千早の右手も同様。その先には、凶悪な鋭さを放つ研ぎたての包丁を握っている。
 ここまでくれば全て明白だ。つまり自分が千早を殺そうとしたように、千早も自分を殺そうとした。
 えーと、と迷う。どうしてこんなことになった? 当たり前だが答えは出ない。
 首を捻りつつ彼女を見るが、彼女も迷っていて、そしてその美しさは変わらない。美しいことに変わりないなら、つまり彼が殺そうと思ったことも変わりない。
 なので、とりあえずまた殺しにかかった。
 弾かれた腕を引き、握りを変えて真っ直ぐに突き出す。このまま貫いてしまえば、首を切断する、という目的からは外れてしまい、五十鈴の望む完成は得られなくなるがそこはそれ仕方がない。また新しい完成形を考えることにする。
 千早もまた困惑から回復し、上方向に弾かれた包丁をそのまま力一杯振り下ろした。ガイン、と再び鉄同士が衝突して弾き合う。意外に強いその反動にお互いよろけながら、何とかバランスを取って第三撃。袈裟に斬り上げる千早の刃と、横に薙いだ五十鈴の刃がかち合った。
 今度は反動に逆らわず距離を取り、互い、相手を見据える。
 いつの間にか夏の暑さが消えている。気温は零下に堕ちていた。
 五十鈴は殺人鬼だったが、だからといってそれがイコール戦闘に長けているというわけでない。彼はこれまでほとんど標的に抵抗させず殺してきたから、こうして相手に面と向かって抵抗された経験もなかった。五十鈴が長けているのはあくまで『どこをどう切れば簡単に切れるか』とか『どう切ればもっとも美しく切れるか』とか、精々『どう身体を動かせば最も早く切れるか』という、専ら技巧的なことである。
 まぁそんな、素人ではないにしろアマチュアなのだが、その目で見ても千早の切り方は美しかった。
 斬撃が来る。水のように流麗、花のように華麗。それは自分以上に『どう切ればいいのか』を熟知した切り方だ。多分この子は料理人になれるな、などと勝手に思いつつ力任せにそれを弾いた。膂力は少女のものと変わらない。単純な力比べならこっちが勝る。
 けれど、と五十鈴は思う。出来るならガチンコ勝負は避けたい。今自分が振るっているナイフは結構お気に入りの一品である。あまり乱暴に扱うと刃が欠けて使い物にならない。観賞用、改造用、改造済みを含めスペアは五本あるが、それは一本欠けていい理由にはならないのだ。勿体無いし値段も高いし。
 なので出来るだけ避けることに専念する。避け続けて、一度でもこっちの刃が当たれば問題なくそれで終わる。幸い、『どう切ればいいか』『どこを切ればいいか』は自分も熟知しているので、その分正確に狙ってくる彼女の切る筋は分かりやすかった。
 けれどそれは相手も同じことで、こっちの攻撃もさっぱり当たらない。風を切る音ばかりが聞こえてくる。
 このままでは埒があかない。持久戦になる。千早がどれほどかは分からないが、五十鈴はそう持久力のある方ではなかった。走るのも長距離より短距離向きである。ちなみに百メートル走なら12秒フラット。
 なので彼は賭けに出ることにする。
 賭け、と言うからにはそれは少なからずリスクを負うことになり、結果自分が先に殺されるかもしれない。が、それはこの勝負が長引いた結果も同じかもしれないし──何より、五十鈴は早く早く千早を殺したくて仕方がなかった。
 右手でナイフを振るいながら、左手でシャツの下、背中のナイフを抜く。
 だがそれは五十鈴の体制を崩すことになる。当たることのなかったナイフがぎぎん、と掠り合い、引かれた千早の包丁がすぐさま疾駆した。
 右手では間に合わない。握る力もそこそこに、左手の新しいナイフで受けた。
 上から叩きつけられるように振るわれた包丁に、満足な体勢で受け切れなかったナイフは、結果として彼の手を離れ地に落ちる。
 振り落とされた包丁が、くん、と引かれそして突き出される。心臓の位置へと。左手は徒手、右手は間に合わない。なら間に合う箇所は──
 ぎっ、と鈍い音がする。刃が硬い弾性のものにめり込んでしかし止まった音。つまりは、五十鈴の左足の裏だ。
 五十鈴は思う。ナイフを仕込んだのが左足のほうで本当に良かったと。五十鈴は左手のナイフを振るう際左足を少しだけ踏み出していた。なので足で受けるなら、右足に重心を落とし後退しながら、残る左足で受け止めなくてはならない。そうすることによって少しでも衝撃を減らすのだ。
 だが千早の技力と速度なら、ただのスニーカーの裏など容易く貫いて足の甲まで貫通していただろう。それが為されなかったのは、左足の裏に仕込まれたナイフと──仕込むのを左足に選んだ五十鈴の運である。
 家を出る際どちらにしようか迷って、結局何となく左足に仕込んだのだ。その時の選択が間違っていなかったことに彼はどこかの神に感謝した。
 ともあれ浅く刺さった包丁は千早の手の動きに合わせて引き抜かれ、受けた衝撃のまま五十鈴は後退、左足をついてもう一歩後ろへ下がろうとする。その際足元に先程叩き落されたナイフを見つけて、軽くそれを千早に向けて蹴り飛ばした。
 更に踏み込もうと前を見据えていた千早はその低い動きに気づかない。結果、力を込め前傾する右足にナイフの柄の部分が直撃した。──小指に。
 わきゃっ、と可愛らしい声を上げて、前傾していた勢いそのままに顔からべたーんと倒れ込む。うわぁアレは絶対痛いな、と五十鈴は知らず顔を顰めた。何しろ素足で、小指である。ちなみにナイフの柄も金属製でとても硬かったりする。米軍御用達の代物によるその痛みは、箪笥の角に思い切りぶつけた時に匹敵するに違いない。
 ご愁傷様、と声に出さず哀れみつつ、五十鈴は跳んだ。ナイフを逆手に彼女に向かって。狙うのは無防備な後ろ頭。上手く行けば一撃で小脳その他諸々をぶっ壊して、痛みも煩悩もなく彼女は逝ってしまえるだろう。それは彼なりの優しさで気遣いで、事後の仕上げを行うための手段だった。どの道後頭部は刺すつもりだったから、順序が前後するだけで結果は変わらない。状況的には理想に近い。
 だん、と着地しても、けれどナイフは千早を絶命させていなかった。一瞬前まであった頭はもうなくて、彼女はうつ伏せのまま匍匐後進(などという日本語があるかは不明だが兎も角それに類する行動)して避けていた。
 ナイフはコンクリートを浅く穿ちその切っ先を欠けさせている。駄目にしちゃった、とちょっと哀しくなりながら、彼は右足を突き出した。直線的な足払いをしかし千早は一歩下がるだけで避ける。当たり前だ。
 突き出した足を軸と打ちつけ、それを支えに彼は飛び出す。ナイフを構えて。その程度のことは彼女も予想していて包丁を構えて待っていた。
 がん、という衝突。間近、殆ど密着する距離で二人の視線とナイフの死線がかち合った。
 気づかなかったが、彼女の目尻には涙が浮かんでいた。さっきの小指は相当痛かったらしい。視線もどこか非難めいてこちらを見ている。
 それを改めて可愛いなぁ、と思いつつ、ふと彼は気づく。
 自分が何故か、彼女を「殺したくない」と思い始めていることに。
 それは殺人鬼として異常である。殺人鬼は殺したい者を殺す故に殺人鬼だ。そこに理由の所在は問わないが、しかし殺すと決めた者を殺したくないなどというのはどういう了見か。
 ナイフと包丁をぎりぎりと鬩ぎ合わせながら彼は高速で思考する。
 最初殺したいと思ったものを、殺したくないと思ってしまう気持ち。そう思うまでには幾らかの時間があった。つまりそれは、その間に自分が千早に見る価値が変わったということだ。そしてその間に挟んだ時間にあったものは、当然現在進行形で今も続いている殺し合いなわけで。
 殺したくない、と思うようになるための理由は二つある。即ち、殺す価値もない、と価値を見直すか、殺すのは勿体無い、と価値を底上げするか。
 これは自問するまでもない。未だに自分は彼女のことを美しいと思っている。そこに彼女の価値を貶める理由はない。つまり、
 ……惜しい、って思ったんだろうなぁ。
 答えを出す。
 事実、自分は彼女の太刀筋に見惚れさえした。そのあまりにも鮮やかな殺しの手段を。殺す対象に抵抗された、というのも予想外で、正直その状況を楽しんでいたように思う。これも速やかに標的を殺すべき殺人鬼としてはあるまじきことに、
 やれやれ、と千早の包丁を受け止めながら、思う。
 自分は芸術家としてはまだまだ三流だと思っていたが、どうやらそれは殺人鬼としても同じだったらしい。殺人を愉しむのは殺人鬼として正しいが、しかし、抵抗されることを愉しむのは、否抵抗される時点でそれは二流の証明だ。否、殺人を愉しむのも殺人鬼としては間違っているか。本物の殺人鬼は殺人を愉しみすらしない。
 だが、まぁ。
 ともあれ自分が彼女を殺すには惜しい、と思ったことは事実で、そしてそれは、
 ……もっと好きになっちゃった。
 顔、赤くなってなければいいなと思いつつ、彼は自分の中で膨らむ想いを自覚する。
 恋は魔法だ。殺人鬼すらも容易に殺す。
 さて、とここで彼は考えた。これからどうしよう。
 自分はもうこの千早という少女を殺したくないとはっきりと思っているのだが、彼女はまだ手を止めてくれそうにない。
 どうしたものか、と思う。言葉で何か言えば彼女は止まってくれるだろうか。だが哀しいことに言葉は不完全で、不透明だ。自分の言葉が彼女に対し自分の想いの丈を全て伝えられるかどうか分からないし、それを油断を誘うための虚言とでも取られたりしたら終わりだ。人生ではなく恋が。
 第一喋った隙に殺されたら意味はない。とはいえそれはここで攻撃行動以外のあらゆる行動に於いて同じであり、つまりどんなことをやっても同様に瞬殺される可能性は消えないということだ。
 全て、同じく死ぬ可能性があるのなら──
 ……やるだけやっとくべきかなぁ、男として。
 不謹慎だし失礼とは思うのだが、五十鈴とて男である。恋愛経験も女性経験もないわけではないからそういうことに関して未練はないのだが、しかし目の前の少女は今恋焦がれて止まない対象だ。出来る限りのことはやっておきたいと思う。
 なので、
 ナイフと包丁を重ねながら、五十鈴は千早に唇を重ねた。
「────!」
 驚く気配が伝わってくる。まぁ当然だろうなぁ、と彼は気楽に思う。勿論、二人の胸の間に交差する刃を置いたままで。
 空いたままの左手で後ろ頭を抱きしめた。本来刺すはずだった場所だがもうその必要はないので、優しく。
 唇は驚くほど柔らかく、しかし軟らかくはない。ちゃんとした反応と弾力があり、それは乾燥した男の唇を包み込むように。
 その感触を愉しむように五十鈴は千早の唇を啄んでいく。包丁が肋骨の隙間を狙うが既に五十鈴のナイフは防御体制に入っている。攻めることを捨てた以上、もう五十鈴の包丁は通れない。
 代わりに攻めは全て唇に回している。甘く唇で唇を噛み、持ち上げて空いた隙間に舌を滑り込ませる。びくっと身を硬くする気配が伝わるが無視。上の歯と歯茎の間をなぞるように、舌先を動かしていく。
「ふっ……んぅ……!」
 千早が振り解こうとするが離れてやらない。先に言ったとおり、力は五十鈴のほうが上なので彼女が拒絶できるはずもなかった。
 衝突した包丁が軌道を変える。よくもまぁ、本来殺傷用途ではないものをここまで上手く殺すために動かせるものだ。五十鈴は素直に感心する。切っ先の行く手は右肺から鳩尾へ。それをナイフではなく拳で横から殴りつけてそっぽを向かせた。
 舌を絡ませるようなことはしない。奥まで突っ込んでいきなり舌を噛み千切られでもしたらそれこそ一巻の終わりである。なので執拗に唇の裏を舐めていく。そこに唾液を染み込ませるように。
「はっ、ぅ、ん、んんぁ……!」
 息苦しさからか隙間から断続的な息と音が漏れ、唾液が零れる。細顎を伝い流れ落ちていくそれを勿体無いと思いつつ、五十鈴は勿体無いと思って啜った。
 舌の半分から先を全部千早の唇の中に押し込んだ。形容し難い水音が今度こそ唾液と一緒にこぼれて言った。漏れる声も既にどちらのものかなんて分からない。
 半開きの呆とした瞳で互いを見ていた。千早のそれは五十鈴から見ても分かるくらい熱に浮かされていて、けれどそれはそこに映る自分も同じ。
 真横から突きとして迫る包丁。拙い。お互い右手に得物を持って、彼女のそれは自分の左脇腹を狙ってる。左手は彼女に絡めているので盾にすら使えない。右腕で届くだろうか、否届かせる。無理矢理腕を捻ってナイフの腹を脇腹に当てた。果たしてそこに包丁は突き立つ。衝突し、拮抗したその一瞬に手を捻り、あらぬ方向へとベクトルを捻じ曲げる。
 そろそろいいかな、と思いつつ、力なく開いていた歯の間に舌を差し込んだ。抵抗はないがしかし油断はできない。奥まで差し込んでいきなり閉じられたら根こそぎ持っていかれる。少しずつ侵入させていきしかし舌には触れない。そのまま舌先を上に持ち上げ、彼女の歯の裏側をぞろりとなぞりあげた。
「……、っふぅ……」
 千早はもう離れようとはしない。いつしか包丁の動きも止まっていた。そして彼女の左手もまた、五十鈴の首に絡み付いている。受け入れてくれているのかな、と思い五十鈴は嬉しく思う。例えそれが罠であっても、今の状況なら死んでも別に構わない。
 上顎を擦るように舐め上げて、そこから横に落ちて舌の裏へと潜り込み、掬い上げるように舌を絡め取った。
「ふ、んっ……!」
 突然苦しくなった呼吸に千早が身を捩る。が離れることも噛み千切ることもない。遠慮なく五十鈴は千早の口腔を犯した。
「は、ふぅっ、ん、ぁ、……」
 漏れる声。やがて千早の舌からも、ぎこちなく五十鈴のそれに触れてくる。躊躇いがちにじゃれてくる仔犬のようなそのたどたどしい動きを、五十鈴はこの上なく愛しく思う。
 だがいつまでもこうしている訳にもいかない。どうやら殺されないようだし、そうでないなら殺される前に退いたほうがいいだろう。充分堪能したし。
 じゅる、と粘着性の水音が二人の離れる合図。まだ高い位置にある陽光がコンクリートに反射された光が、糸を引いて弓形に落ちていく唾液の線を露にする。
 は、とお互い息をついた。そういえば途中から呼吸するのを忘れていた。
 さて問題はこの後だ。
「えーと……千早」
 はい、と頷きが返ってくる。思わず呼び捨てで呼んでしまったが、気にはしないらしい。
 どう言ったものか、と彼は頭を悩ませて、
「どうやら僕は君のことを殺せないくらい好きになったみたいなので、お付き合いしませんか?」
「──喜んで」
 少女は頬を赤く染めて、そう答えた。
 
 
 
 本当は、と千早は言う。
「私も一目惚れしてました」
「マジで?」
 はい、と頷く。
「ついでに言っちゃうと私は食人鬼というモノなんですが、それでも昼間から誰かを食べたいと思うことはなかったんです。大抵、夜のほうが良く引っかかってくれる人が多いので。そのはずだったんですが、あなたを見た瞬間、こう……いきなり食べたくなっちゃって」
 ばつが悪そうに苦笑しながら千早は言う。
 今二人はベッドに並んで座って話している。既に千早は服を着ている。五十鈴としてはもうちょっと裸身を眺めていたかったがそれは許してもらえなかった。
「食人鬼といっても私の場合人だけを食べなくちゃいけないってわけじゃなくて、普通に人間として生活できるんですけど、それでも食べたくなる衝動みたいなのがあるんです。なので、大体一ヶ月に一回くらいのペースで定期的に人を食べるようにしてました。でないと衝動に負けて見境なしに襲っちゃいそうですから。私は人間じゃないですけど、人間として生活してますし、もし理性を失っちゃったら友達とかも食べちゃいそうですし……」
 まぁそれはそうだろう。人間として生活している以上、そこを壊すような真似を容易に引き起こしてはならない。そしてそれ以上に、友達を食べてしまうことを彼女は怖れているのだろうと、その少し暗くなった表情を見ながら五十鈴は思う。自分だって友人はいるが、幾らなんでも彼ら、及び彼らの家族や親友までくらいは殺そうとは思わない。そうしないよう顔と名前は覚えている。
 友人を喪うのはとても哀しいし、何かを喪って哀しそうにしている友人を見るのはとてもとても辛い。だから襲うのはできるだけ他人にしている。
「こないだ食べたばかりなんで、本当ならこんなことないはずなんですけど……五十鈴さん、あなたを見て、あなたに恋をして、とても、食べたくなった」
 熱の篭もった視線で千早は五十鈴を見る。思わず五十鈴は身を硬くした。油断したら食べられそうだ。
 ともあれ、成程、どうやら千早も、自分が千早を見ていきなり殺したくなったのと同様、いきなり食べたくなったということなのか。
「あ、今は食べようなんて思ってませんから安心していいです」
 五十鈴の様子を察してかわたわたと手を振りながら弁解する。
「それは兎も角、そんな風に恋をして食べたくなってしまったものですから……その、」
 何故か千早の顔が赤くなった。
「ええとですね、その、……あなたに抱かれてから、あなたを食べたい、って思いました」
 真っ赤な顔で、千早は言った。
「そのはずだったんですけど、その、殺し合ってるうちに何となく食べたくないなぁ、って思っちゃって……最後にキスされて、自分はこの人を食べたくないくらい好きなんだな、って気づいちゃいました」
 照れたように、言う。
 ──ああ、つまり。
「奇遇だな」
 え?と首を傾げる千早に覆い被さるようにして五十鈴はその小さな身体を押し倒した。
「僕も、君を愛してから殺そうと思ってた」
 ──やっぱり二人は同じなのだろう。
 言って反応を待たずにワンピースの肩紐をするりと落とす。
「え、あの」
 千早のワンピースは前面をボタン止めするタイプなので、それを上から順に全部外した。
 反応できてない千早を置いてけぼりにしてご開帳。さっき五十鈴は服を着る千早を見ていたが(見ないでください、なんて赤い顔で言っていてとても可愛かった)、その時に下着をつけた様子はなかった。なので自然、ワンピースの下に彼女は何一つとして身につけていないのだ。──上下共に。
「あの──」
 やっぱり肌は白いしすべすべしてて柔らかそうで綺麗だなぁと思いつつ千早の臍近くから鳩尾へとつぅと指を這わせていく。ひっ、と何やら声が聞こえたが気にしない。だって殺人鬼だし。
 覆い被さって耳を甘噛みする。ふにふにとした食感が心地良い。千早は食人鬼らしいが、こういう歯ごたえなら食べても悪くないかもしれない。
「あの、なんでこんなことしてるんですかっ」
 そんな物騒なことを考えていると、非難めいた声が聞こえた。
「いや元々こういうことしようとはしてたんだし、いいかなと」
「そういう問題じゃなひっ!」
 ちょっと五月蝿かったので臍に指を突っ込んでみた。その反応を快く感じつつ、ふと思う。
 ……反応が初々しすぎるような。
 処女ではない、と言ったがそれは自己申告によるものだ。隠喩の意味で男を喰っていたかの証明はない。確認する方法はあるがもしそうだった場合取り返しがつかないのでとてもじゃないができなやしない。
 なので手を止めて身を起こした。
「……どうかしたんですか?」
 そう問う千早の声はどこか残念そうだ。なんだやっぱりして欲しいのかと思いつつ、彼は問うた。
「念のために訊くけど、千早」
 はい、と千早が真面目に頷く。
「君はもしかして処女か」
「はいそうですよ?」
 何でもないことのように頷く。つまりというかやっぱりというか虚偽申告だったらしい。
 それを察してか、千早は言葉を紡ぐ。
「普通誰だって処女だって言ったら相手にしてくれませんから。今みたいに捕食し始めた頃二回くらい正直に言っちゃったんですが、一人はそれじゃ満足できそうにないって言って帰っちゃって、一人は悪いことは言わないから家に帰りなさいって言ってお金をくれて帰っちゃいました。お金要らないから食べさせて欲しかったんですけどね……」
 あれは失敗でした、と千早は吐息する。
 ふむ、と彼は息をついた。正直嬉しい。真実、この少女は穢れない乙女であったのだから。先程までの自分なら、そのことを知ったら殺すことを放棄するどころか自分を殺してでも彼女の世界で一番綺麗に仕上げただろうが、既にその衝動はない。
 しかし、と五十鈴は思う。相手が初めてならさしもの彼も躊躇する。据え膳喰わねば何とやらとは言うが、こんなムードのない場所でというのはちょっと頂けない。彼は割とムードを重視するほうである。初めてなら初めてで、じっくり教えてあげたいこともある。変態的思考かなと思うが反省はしない。男なんて誰しもどこか変態だ。
「続き、しないんですか?」
 そういう彼女はどこか物欲しそうにこっちを見ている。今すぐ続きをしてしまいたい衝動に駆られるが勢いに任せると割とろくなことにならない。特にどっちかが初めての場合は。
「今度にしよう。流石にこんなとこでするのもムードないし」
 思ったままを言うと、彼女もそれには納得したのか赤い顔で頷いてきた。
 それに頷きを返して、彼は思考する。さてどうしたものだろう。一応両思いであるし、お互い殺すつもりも食べるつもりもないのだから、もう二人は何処から見ても全く普通の恋人同士になった。だがだからってこれから喫茶店に行きましょう、というのも性に合わない。
 しばし考えて、五十鈴は閃いた。それを実行に移すべく、千早に問う。何気ないように装って。
「千早、君、一ヶ月に一回しか人間を食べないの? ──いや違うか。正確には、一ヶ月に一人しか食べれないの?」
「? いえ、そんなことはないです。食べられるならたくさん食べたいですけど、流石にそれだと騒ぎが大きくなっちゃいますし」
「それもそうか」
 自分だって毎日殺し回ってたらそれは当然『事件』になる。適度に間隔を開けているからこそ対した以上と認識されないのだ。どうせ人間はいつもどこかで死んでたり殺されたりしているのだから。警察などは対策本部の一つや二つ設置しているだろうが、生憎彼の動きを捉えることはできていない。何しろ殺す相手はばらばらで、殺す場所もある程度決まってはいるがどこで殺すかはランダムなのだから。「食べる相手に好みみたいなのってある? 僕はないけど。誰だって殺すし」
「そうですねぇ。若い、私と同じくらいの女の子とか美味しいですよ。やっぱり柔らかいですし。男の子だったら二次性徴前が一番です。最近はこんなことしてるから、食べられるのは二十代前半の男性とか、精々ちょっと特殊な性癖を持った女性ですね。つまりレズの人ですけど」
 それはそうだろう。一応売春の振りをしているのだから、子供は引っかかってくれない。
「逆に食べたくないのは、年齢的に下り坂の人です。やっぱり年取ると美味しくないです。硬すぎて」
「ふうん。食べてて美味しい部分は?」
「太腿ですね。スポーツしてる人とかだと、適度に弾力があるから歯応えがあっておいしいです。後は同じ理由で腕とか。首の肉も美味しいですよ、コリコリしてて」
「あー、鶏の首とか美味しいもんね」
「そうですね、感覚的には似たようなものです。後は全体的に食べれますし。……あーでも消化器官は駄目です」
「そうなの? 以外だな。普通、柔らかい部分から食べるものだと思うけれど」
「肉食動物じゃないんですから。それに人間て雑食だから美味しくないと思います。ベジタリアンの人とかはどうか分かんないんですけど」
「ああその話は聞いたことあるな。基本的に肉を食べる動物は美味しくないんだとか」
「ええ。それに人間が食べる動物の内臓って、基本的に洗浄してるじゃないですか。私は生のまま食べるから、その、胃の中に消化物が混じってる時とかありますし」
 一度酔っ払いを食べたときは、うっかり破いた胃袋が酒臭くて耐えられなかった、と彼女は言う。
「ああでも肝臓は別格です。あそこは美味しい。これに限っては、太ってる人のほうが美味しいですね」
「フォアグラみたいなものか」
 そうです、と千早は頷く。フォアグラは特殊な飼育法によって肥大化させた鴨の肝臓だ。フォアグラを作るために、鴨は自由に動くことも許されずただ食べさせられ続ける。あれは可哀想だなぁと五十鈴は思った。
「他の内臓は美味しいですよ。心臓なんか特に。幾つかの層に分かれてますからその分歯応えがあります。肺は反対にちょっと物足りないですけど。脳味噌はプリンみたいで食感が楽しいです」
 ふむ、と彼は独り頷いた。大体のことは分かった。
「それじゃ、一度僕は帰るよ」
 よっ、とベッドから立ち上がる。
「もう、ですか?」
 名残惜しそうに見上げてくる千早に苦笑を返す。
「いや、ちょっとやることができたから。……ああ、携帯持ってる? 電話番号とアドレス交換しとこうか」
 あ、はい、と頷き、彼女はオレンジ色の携帯を取り出す。お互い手馴れた操作で番号交換。
「そういや、千早はどの辺りに住んでるんだ?」
「近くのアパートです。両親は死んじゃいましたけど、バイトしながら学校もちゃんと通ってます」
 彼女の告げた高校の名は、何と五十鈴と同じものだった。そのことを千早に告げると大層驚かれた。
 千早は五十鈴より一つ年下、つまり高校二年生であるらしい。
「──不覚だ。二年も同じ学校に通ってて君に全く気づかなかったってのは」
「同感です」
「けど、それにしたって気が利いてる。殺すか喰うかの瀬戸際で相手に惚れるってのは如何にも僕ららしい」
「それも、同感です」
 そして二人して笑い合う。
「それじゃそろそろ帰るよ。また近いうち連絡すると思う。──今夜にでも」
「はい、待ってます。それでは、また」
「うん、またね」
 手を振って別れる。階段を降り廃ビルを出て、夏の日差しの中歩き出す足は、しかしとても軽やかだった。
 今年の夏は暑いと言うが、それも気にならないくらい今は楽しくて、嬉しかった。
 
 
 
 そして夜。
 彼は世にも幸せそうな穏やかな表情で、そして何かを楽しみにしている表情で、街を歩いていた。
 今の彼は昼間と違って完全装備状態だ。黒いジーンズに、黒いブーツ。上は無地の黒い半袖シャツの上に、黒いタクティカルベストを羽織っている。手には汗でナイフが滑らないようにハーフフィンガーグローブ。
 その黒尽くめの下に、彼は今無数のナイフを隠し持っている。
 シャツの下、地肌に彼は絡みつくような奇妙な形のベルトを巻いている。ベルトの背中側は五本のシースが下方向に放射状に張り付いていて、その全てにナイフが差されている。前面の腹部にも、鞘に入った肉厚のナイフが一本、右手で抜きやすいよう右を下にして斜めに差されていた。一番のお気に入りだ。
 タクティカルベストの内側も改造してある。五十鈴は裁縫が得意なので、小型のナイフなどの鞘を自分で革を切り張りして作ったりもする。
 ベストの右内側には、左手を突っ込めばすぐ取れるように斜め向きに鞘が縫われていて、同型の細いナイフが六本差されている。投擲、至近両用のお気に入りだ。左側にはそれよりも少し大きめなものが四本、そのどれにも柄の先端に穴が開いていて、糸や紐を通せるようになっている。ベストの背中側の裏には米国製のパラシュートコードが三束。それぞれ1m、3m、5mと長さも違う。
 ジャケットの表の右胸からは三本の棒が突き出ている。それらもまた柄だ。ただその先にあるのはナイフではなく、細長い三角錐形の杭だ。左胸は普通に携帯電話を突っ込んである。ちなみに携帯のストラップは、刃渡り二センチの折り畳みナイフである。実用性はあまりなくただの嗜好品。
 ジーンズの右ポケットにはジャックナイフが、左にはタガーナイフと呼ばれる、拳に握り込んで使うタイプのナイフがある。後ろの二つのポケットには片方にバタフライナイフが二本と、もう片方には半円形の奇怪な形状のナイフがある。
 脚にもぬかりはない。ジーンズの内側、両足首にも特製のベルト型シースが巻きついていて、それぞれ六本計十二本の投げナイフが刺さっている。靴底にも、今は両足に入っていた。
 杭とパラシュートコードを除いて計36本。人間一人が持ち歩くには、あまりに異常な数を、しかし他人には全く気取られることなく、その歩みに異常を持たせることなく、彼は隠し、闊歩している。
 本来なら、幾らなんでもここまでの装備を彼はしない。そこまでしていたのは五十鈴が最高に気分が良かったからであり、考えられる限りのあらゆる状況に対応するためだった。
 ナイフは足の投擲用の十二本を除いてその全てに特徴を持たせている。切れ易く、或いは切れにくく、刃が通常より薄かったり、厚かったり、広かったり、狭かったり、鋭く研いでいたり逆に故意に鈍くしていたり、鋸状にしていたり。
 同型のナイフであっても、それらは全て殺人鬼・三河五十鈴の改造と手入れによってその悉くが『個性』を持っている。ありとあらゆる切り方に対応し、ありとあらゆる切り口を作るために。
 それは例えば絵の具のようなものだ、と殺人鬼は思う。例えば赤では海は描けないし、青で炎は作れない。七色なければ虹はできない。
 つまりはそういうことだ。絵の具の数だけ彩りを作れるように、五十鈴はナイフの数だけ殺人を作るのである。
 その完全武装状態で、彼は殺人を考察する。
 いつもやることだ。見つけるべきものを見つけるまでの、つまらない暇つぶしである。
 さて──殺人に理由は在るのか否か。
 それは否だ。殺人鬼は殺人に理由を抱かない。怨恨や八つ当たりによって人を殺すのは所詮人が人を殺す行為でありそれらの殺した者は全て殺人者でしかありえない。
 殺人鬼は人を殺す鬼である。鬼は人ではないから、人と同じ理由を欲さない。少なくとも五十鈴はそう考えるし、殺すことに理由を持たない自分はやはり殺人鬼なのだと思う。比較対象がいないので確かめようがないのが何とも残念であるが、殺人鬼同士が出会ったらきっとろくなことにはなるまい、と彼は思う。
 彼の目的は殺人だが、しかし目的の向こうに彼は意味を持っている。
 つまりは芸術性だ。殺人鬼として殺し、その屍体を綺麗に彩る。それは殺人の埒外にある行為だ。だからと言って彼は彩るために殺しているわけではない。殺したいから殺すのであって、殺した後の屍体を彼は彩っているのだから。
 だがそれは殺人鬼として正しいのか?と思う。殺人鬼は殺す理由も殺す意味も、殺した理由も殺した意味も持ちはしない。鬼なのだから。なのに屍体を彩ることに芸術性を見出す自分は、二流どころか三流の殺人鬼ではないのかと五十鈴は思う。人間は本来善いモノであるのだから、死に様は美しく在るべきだと。だが本当の殺人鬼はそんな野暮ったいことは考えないだろうし、そして自分の抱くその芸術性が、故人に対する弔いからのものだとすれば尚更に。やはり自己分析が得意でない彼にはそんなことは分からないのだが。
 とは言え、自分が二流でも三流でも別に関係はないのだ。二流でも三流でも、五十鈴は自分が殺人鬼であることにそれなりの矜持を持っているし、そして殺人鬼を止めるつもりはない。そして屍体を彩ることもまた。それが三河五十鈴という殺人鬼であるのだから。
 善いものを、美しいものを、例えそれが長く保たなくとも美しい姿で終わらせる。端的に言えばそれが彼の殺人鬼としての矜持であり、芸術家としての信念である。
 ただ思うのは、自分が二流三流の殺人鬼であるのなら、できることなら一度本物の『一流』に会ってみたいということだ。紛うことなき殺人鬼、人を殺す鬼に、あらゆる理由も意味も必要とせず、意地も矜持も存在せず、呼吸するようにですらなく──自分が其処に在ることと同じくらいの当然性で人を殺す殺人鬼に────
 ────考察中断。
 視界が、見つけた。その瞬間彼の中で思考は停止し、それを見据えた。己のセンスがそれを素晴らしいものだと認める。自分にとっても──彼女にとっても。
 それを視界から外さないようにしながら、彼は携帯の番号を呼び出し、コールした。
「──もしもし、五十鈴です。千早、今出てこれる? ……そう。ああうん、じゃあ場所は──」



 徳島千早が指定された場所に到達し、そこを見た時、彼女はそこが天国のように見えてしまった。
 比喩ではない。そこに、彼女はとてもとても素晴らしいものを見つけていた。
 よくあるビルの隙間の袋小路だった。特殊なのは途中でL字型に折れていて、外からは絶対にそこが見えないということだ。
 そんな閉鎖された空間で、彼女は夢見る瞳でそれを凝視する。
「────────ああ」
 熱い吐息が漏れた。
 ふらふらと熱病に浮かされたような足取りで、彼女はその場所に近づいていく。
 そこには五十鈴が立っていた。両手に血濡れのナイフを持って、どこか誇らしげに。
 そして、その向こう。
 袋小路の壁に、それはあった。
 ──少女の屍体があった。
「ああ、丁度良かった。今終わった所なんだ」
 五十鈴の、一仕事終えました、というような満足げな声を聞く。
 少女は華のようだった。それは見事に咲いていた。
 両手を杭で壁に固定され、倒れることはない。
 身体はものの見事に切り開かれていた。肋骨は一本一本間に丁寧に刃を通され背中側までぐるりと切られ、そして花開くように左右に開いている。腹も開かれ、内臓は消化器官のみが綺麗に取り除かれ屍体の脇に添えられていた。心臓と肺はそのまま。心臓はまだ、微かに脈打っている。
「出来るだけ運動してそうな女の子を選んだつもり。部活帰りなんだろうね。制服はうちの学校のじゃなかったから殺っちゃったけど……君の友人じゃないよね? もしそうだとしたら物凄くマズいことをしたんだろうけど、僕は」
 必死に千早は首を振る。左右に。否定のそれに、良かった、と五十鈴は胸を撫で下ろした。
 少女の股関節と膝関節は、落ちてしまわない程度に切込みが入れられている。鮮やかな切り口で、しかし極力血管を傷つけず。
 そして少女の足元には、よく研がれたナイフが四本、置いてある。
 ────そう。
 まるで、今すぐにでも切り分けて食べられるように。
「……これ、どうしたん、ですか」
 息も絶え絶えに、荒くなった息と、血液を濁流のように全身に流し続ける心臓を上から押さえつけるようにしながら、千早は問うた。
 五十鈴はにっこりと笑う。
「プレゼント。デートとか、そういうの僕って苦手でさ。女の子に気の利くこともあんまり言えないし。今までも割とリードされてばっかりでね。だからせめて、と思ったんだけど」
 ナイフを拭きながら五十鈴は言う。
「こないだと同じように殺して、それにちょっと手を加えただけなんだけど……気に入ってもらえるかな」
 問うと、頷きが返ってきた。それに満足げに五十鈴は微笑む。
「そっか。じゃあ何よりだ。……ああ、そろそろ心臓止まっちゃうかな。新鮮なうちがいいよね。──うん、食べていいよ」
 最後の音が聞こえるより早く、千早はソレに向かって駆けていた。いつの間にか服は脱いで生まれたままの姿で、獣のように。
 喉に喰らいつく。歯が頚動脈を突き破り、やや緩やかになりつつあった血液がそれでも濁流となって千早の口腔に流れ込んだ。彼女はそれを全て飲み干していく。水のように。
 いい加減流れる血が少なくなると彼女は口を離し、ばきん、と肋骨を一本折り取った。肋骨には当然まだ肉がついたままなので、それを彼女は貪っていく。二本、三本と矢継ぎ早に折り取っては食し、あっという間に肋骨は綺麗な白になって転がされた。すっかり風通しの良くなった胸の部分、その心臓に今度は牙を立てる。大動脈や肺静脈ごと引っ張り出して、つられて両の肺も引き出された。心臓を咀嚼しずるずると太い血管を喰い尽くし今度は肺。ぷちゅぷちゅと肺胞を噛み潰す音が聞こえる。成程、あれは歯応えなさそうだ、と五十鈴はその様子を眺めながら思った。
 五十鈴は、別段その様子に嫌悪感は抱かない。寧ろその食べっぷりに感心し、そしてそこにある美しさに感動すら覚える。獣のように貪りながら、それでも尚美しいその姿。昼間は、あの穢れない姿こそ美しいと思ったが、それを間違いだったと思い知った。
 五十鈴は彼女を獣ではなく、花だと思った。違う。彼女は真実獣であったのだ。何よりも強く、何よりも美しい、捕食者。その血に濡れた姿こそが、性交する時の扇情的な姿よりも、立ち佇む静謐な姿よりも、絶対的に美しい────
 千早は、今度は胴体の肉を貪る。運動部らしく脂肪の少ない肉は、ものの二分としないうちに全部千早の胃に収まった。そのまま下腹へ。子宮と卵巣を引きずり出して喰い、骨盤の周りの肉まで余さず食べた。
 ここでようやく彼女はナイフを取り、右太腿と股関節の筋を切断する。切り取った脚を持ち上げて、子供が大きなハンバーグにするみたいに、あーんと大きく口開けて太腿に噛み付いた。ぶつんと肉を噛み千切って咀嚼、嚥下すること数十回。脛や足も残さず食べ、骨周りに残った肉も全てこそぎ取るように食べて、反対側の脚を同様に食べ尽くした。
 下までいったら今度は上。既に少女の下半身は完全に喪われ骨が散らばっているので、両手の杭を引き抜いたあとの身体を千早でも充分に持つことが出来た。今度は腕を指先から食べていく。指一本一本を口に含み、肉を全部食べるとその度に指の骨を吐き出していく。手首、下腕、上腕、鎖骨と食べて、両腕を食べ終わると今度は首だ。もう肩部分の僅かな肉と首から上だけしか残っていない。それを下から順に食べていく。首の肉を食べている時こりこりと音がした。そう言えば鶏の首と似ているだとか言っていなかったか。
 とうとう頭だけになった。骨は全部足元に転がっている。ばきん、と下顎を力任せに千切って顎の肉を食べていった。勿論舌も。牛タンと同じような歯応えなのだろうか、と五十鈴は思った。
 ソレが終わると彼女は肌に沿ってナイフの切っ先を走らせ肉を削ぎ、或いは歯で引っぺがして食べていく。柔らかそうな耳も勿論食べた。白い骨の露出部分がほとんどになったところで、眼球を抉り出しそれも食べる。そして骨の額にナイフの切っ先を突き刺して、ごりごりと横に削り切っていった。そのナイフは五十鈴の特製品で、切っ先だけそのままで刃が途中から鋸のようになっている。主に小さな骨を切る時に使うものだが、見事に役に立ってくれたようだ。
 ナイフが頭蓋を一周すると、ぱかりと蓋のように頭が開いた。蓋を千早は投げ捨てる。流石に髪の毛は食べないらしい。そういえば後頭部の頭皮を剥いだ時も、食べはせず投げ捨てていた。
 蓋の下にあるのは勿論脳味噌だ。ぷるぷると空気に震えているそれを彼女はずるずると啜っていった。プリンみたいな感触なのだろうか。
 脳髄まで全て食べ終わると、頭蓋骨の中に残った肉片も綺麗にナイフで抉り出し、それも食べて。
 
 そうして、彼女の食事は終わった。
 
 
 
「はい、口拭いてあげる」
 血まみれになっていた口を、五十鈴が丁寧に拭き取っている。千早は少しくすぐったそうにしながらもそれを受け入れていた。
 全身まで拭き終わると、タオルは真っ赤に染まってしまった。現場においておく訳にも行かない。持ち帰って、とりあえず燃やすか何かするべきだろう。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
 食後の挨拶を交わし、二人で寄り添うように壁にもたれかかった。
 裸のままで、くたっと千早は五十鈴の肩に頭を乗せた。五十鈴はその長い髪を梳きながら、訊いた。
「千早はアパートに住んでるんだっけ」
「ええ。ボロいアパートです。お陰で私のバイト程度でも何とかやってけるんですけど」
「ふぅん……じゃあさ、一緒に住まない?」
 え?と千早が顔を上げる。
「僕も両親いなくてさ。親が残したマンションに住んでるんだけど一人で使うには広すぎる。料理とかも一人分だけ作るの大変だしね」
「…………下心は?」
「勿論ある」
 即答した。千早は一瞬きょとんとして、そしてすぐくすりと笑った。
「じゃあもう少し考えてからにします」
「そうか、残念」
 そして五十鈴も笑った。
「さって、と」
 五十鈴は立ち上がった。同じように千早も立ち上がり、服を拾って着始める。五十鈴は五十鈴でナイフを全て身体に仕舞い、その他、周囲に状況証拠になりそうなものがないか確認する。
「千早」
 それらが全て終わって、五十鈴は愛しい人の名を呼んだ。
「一つだけ約束しよう、千早。僕達はこんなんだから、きっとずっと生き続けることはできないかもしれない」
「はい」
 微笑みながら千早は頷く。
「だからせめて死ぬまで一緒にいよう。そして僕は君が死にそうになった時、君を綺麗に飾るから、」
「私も五十鈴さんが死にそうになった時は、臓腑も骨も残さず全部食べます」
「「そして、自分の命を絶って追いかけよう。どこまでも一緒にいるために」」
 同じ言葉を言い合って、二人は微笑み合って──キスをした。
 ああ、と五十鈴の胸の内が満たされる。そうだ。今なら臆面もなく言える。僕はこのために、この人を愛するために生まれてきたのだと。
 同じことを千早も思ってくれていると嬉しい。いや、きっと思ってくれているだろう。何しろ自分達はとても似ている。
 世界は美しい。輝いて見える。人を想い、想われることは、とてもとてもとてもとても、幸せなことなのだ。
 そしてどちらからともなく手を繋いで、二人は歩き出す。微笑み合って。夜の街へと。
 その後姿を、眼球を喪った頭蓋骨だけが、無言で見送っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 Very very sweet Happy end!/to be continued...?[Y/N]
 
 
 
 
 










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