in Snow




 雪は論ずるまでもなく冷たい。それは有史以前、否、この地表に初めて雪と呼ばれる水分の結晶体が舞い降りた時からの決まりごとであり当然であり必然であるのだから、遥かに遅れて生まれ落ちたヒトが今更論ずる必要などどこにもない。
 だがその雪の舞う優雅さはいつもヒトを魅了して止まないし、一面に敷き詰められた純白の絨毯に陽光の弾ける様もまた同じである。再度語らずにはおられないほど、それらは冷たく、美しい。
 しかし──それは充分な防寒と生活があってこそ初めて語られるものである。雪は白く美しく儚く脆いが、宿す温度は常に零下だ。それは人の肌を侵す温度でもある。綺麗な薔薇に棘があると言うなら、それが風花の棘だろう。なればこそ、寒さに耐えられるようにしておかねば凍える棘は身を刺し、雪の美しさなど楽しむ余裕などない。
 生活が不十分でもまた然り。雪の寒さは冷害をもたらし、冬を越す食糧を蓄えられなくなる。美景も怨嗟の対象にしかなるまい。
 それはこの場所でも同じだった。
 荒廃した街。そのまま放置され、しかし細々と暮らしが営まれてきた古都。
 雪の降るローマ。聖人が生まれてから二一〇七年の歳月が流れて、聖人を讃える聖堂のあるここは傾いでしまっている。
 三文小説か冗談のような大地震が四十二年前に世界を襲った。見事なまでに平等に公平に、皮肉にも、聖人が述べたことを実践しているかのように。
 神の恵みが万人に公平にもたらされる、と。
 なれば、神の怒りも万人に公平に降り注ぐのだ。
 この街も例外ではない。神の恩寵も御加護も発揮されることなく、街は半壊してしまっている。各国の政府中枢まで同じような状況にあったせいで、半世紀が過ぎてもここは復興されないままである。人口の絶対数も資材も足りない。そのような状況下では、再建に手間がかかる場所は自然放置され、忘れられていく。その上に降り積もる雪は、ならば死に化粧か。瓦礫の街を、死の静寂で覆い隠す羽衣か。
 だが──街が死んでも、人は死なないものだ。
 人間は存外にたくましく、図々しく、そして強い。どのような場所にも人は住み、日々を営み、細々とでも過ごしていく。この街もその例に漏れていない。雪に覆われた世界の下では、静かにだか確実に人が生きて冬が通り過ぎるのを待っている。
 ──その中に、屍体が一つ。
 真っ黒な分厚い帽子を被り、分厚いゴーグルを嵌め、帽子と同じ色のコートを着込んで倒れている少年。歳は十代中頃だろうが、何故このような場所に、少年の屍体は倒れているのか。
 寒さに凍え死んだのか、或いは別の要因か──ともあれその屍体は誰も住んでいない民家の屋上にうつ伏せに倒れており、両手にしっかと己が武器を握り締めたままであった。身体に降りしきる雪がうっすらと積もり、その身を覆い隠さんとしている。
 しかし──武器を握り締めていた右手を屍体は離し、目深に被っていた耳当て付の軍用帽子に積もっていた雪を払い落とし、また武器を握った。
 時間は一秒。ほんの一秒。その間だけ、屍体は屍体であることをやめた。
 否──そもそもからしてそれは屍体ではないのだ。ただ限りなく屍体の持つ静寂に似せて、動かなかっただけで。
 雪の衣の中で、屍体じみた少年はひたすらに待っているのだ。
 何を、と問われても、いつまで、と問われても、少年は語りはしないだろう。少年は語る必要も義務も、ましてや権利も持ち合わせていないのだから。
 彼は駆除業者である。業者はクライアントの指示に従えばそれでいいのであり、それ以外のことは何一つとして要求されないし、許可されない。
 ただ、彼の駆除対象は毎回決まっている。個体としての存在は違えど、それらは一つの枠組みに括られるものではあった。
 魔術師。
 そう呼ばれる者である。
 
 魔術師は魔術を行使する故に魔術師と呼ばれる。そして魔術は架空の存在ではなく、また虚偽や欺瞞や詐欺でもなく、真実、この世界に存在していた。それも遥かな昔から。人々が空想と語り、幻想と笑ってきたものは、ただ眼に見えなかっただけで、しっかとこの世に根付いていたのだ。
 その不可視が可視になったのは、世界が半壊して後だった。過去において未熟であった人間集団が、やがて社会というシステムを構築するにつれて、得体の知れない彼らは除外され、排斥され、或いは見て見ぬ振りをされていた。だが奇しくも、そのシステムの崩壊と同時にこの世界に再び姿を現すようになったのだ。かつて彼らが普通の人間と共に存在していた、遥かな過去のように。
 皮肉なことに──壊れかけの世界の再生を時として助けたのは、彼ら魔術師であった。善意、悪意はともかくとして、回復を助けていった彼らは、次第に権力を持ち、畏怖を抱かれるようになる。
 それが結果として排除という結論に達するのは、それほど難しいことではない。彼らが根っからの善人であるならともかく──事実いないわけではないが──、その力を誇示して力のない者達を支配下に置くこともままあった。そのようなもの、恐怖されこそすれ、感謝はされない。
 その排斥を実行するのが少年だった。畏れられ凡百なヒトの身では抗えぬ彼らを、ヒトの身で殺すモノ──それがこの少年だった。
 そもそも、ただのヒトの身で魔術師を殺すことは、決して不可能ではない。
 魔術は技術であり、万能ではない。物体の温度や、水や空気の流れを操る程度なら兎も角──それも魔術を使えぬ者にしてみれば大したものではあるのだが──、何もないところから唐突に金を生み出したり、失った身体の部位を瞬時にして再生するなどできはしない。極端に物理法則を逸脱した現象を起こせるのは奇跡以外にありえず、そして奇跡はヒトの身に扱える代物ではない。
 魔術師とてヒトであることに変わりはない。怪我をすれば赤い血を流し──頭を撃ち抜かれれば無論死ぬ。ただの人間にも殺傷は可能なのだ。
 それが困難とされるのは、ひとえに魔術を行使できるから。万能でなくともそれは、自らを守り、敵を殺すには充分すぎるほどであるのだから。
 魔術師に真っ向から立ち向かうことは、散弾銃にナイフ一本で立ち向かうよりも無謀だ。行使する者の力量にもよるが、例えば直線的な攻撃である銃に対し、ある魔術は距離も障害物もベクトルも問題にしない。故に、中・遠距離で魔術師と戦闘を行うことは愚劣の極みと言っていい。ただ魔術の行使には一種の精神集中が必要となるため、それをさせぬような至近距離格闘であれば話は別かもしれないが──その位置に到達するまでに攻撃されては意味がない。
 ならば、魔術師すら知覚できぬ距離から、一方的に狙撃してしまえばいい。
 それが対魔術師戦闘における一つの解答であり──その結論の結晶が少年の握るそれであった。
 真上から見れば、それは漆黒の十字架に見えよう。長大な棒と、それを支えるために中途から左右斜め下に伸びた細い足によって、そう見える。
 成程、それは言い得て妙だ。聖人の処刑を真似て、中世ヨーロッパでは中世ヨーロッパでは──それが冤罪であっても──魔に属すると審判された者を十字架にかけ、火炙りにしてきた。そしてこれもまた、魔なる者を鉄火を以て処断するものなのだから。
 それは長大な金属の筒だ。全長2.4メートル。無骨で長く、しかし筒は肉厚で、先端に開いた穴は1センチにも満たない。筒の途中からはそれを十字架に見せた足が伸びて、雪に埋まってその筒を支えている。根元には分厚い鉄の箱。その大きさは尋常ではなく、足を外して筒の先を持って振り回せば、それだけで人間の頭が容易く砕けるほどの体積と質量を持っている代物だ。
 だが無論、これは金槌ハンマーなどではない。
 箱は弾倉であり、筒は銃身であり、穴は銃口。
 銃器と呼ぶにはいささか凶悪すぎるそれこそが、十字架に穿つ銀の釘。
 Anti Magic Rifle──対魔術ライフルと呼ばれるそれが、少年が魔術師を駆逐するための道具だった。
 そして今、少年はこれを構え──スコープの先に標的が現れるのを、ただ静かに待っている。
 依頼主からの情報では、ここで待っていれば必ず魔術師が現れるとのことだった。その言葉が真偽であるかどうかは定か確かめていない。というより、確かめようがなかった。相手はそういった依頼の卸業者からの口伝でのみ連絡を取ってきた。依頼の仲介人であるデイビスは、態度は飄々としているくせに口が堅いことで評判だ。恐らく死んでも口は割るまいし、少年は問い詰めようとも思わない。
 そういった態度のため、これまでも何度か虚偽の依頼があったが、それでも少年は気にしようとはしなかった。指定の場所で待ち、指定の敵が現れなければ、ただその場を去っただけである。違約金の請求すらもしようとはしない。
 第一、少年にとって依頼の報酬というものにはあまり興味がなかった。そういった交渉は専らデイビスに任せており(その度に彼は報酬の三分の一くらいをちょろまかしているようだが)、それでも少年には充分な額が手に入る。だが少年は生活と銃の整備に必要な分以外、全くそれに手をつけようとはしない。使うものがないからだ。
 彼にとって最も興味があるのは、魔術師を殺すという、それだけである。
 かといって彼は快楽殺人者などではない。そうすること以外彼にはないからだ。ないように育てられてきたからだ。
 自分は銃であり、その銃口は魔術師にのみ向けられるものであると──彼は死んだ父に教えられた。
 だから彼は魔術師を殺しながら日々を生きている。娯楽も、趣味も何もなく、彼は銃であったから。
 そして彼は今日も銃を構えている。
 
 狭い円形の視界の中心にはドアが一つ。
 あそこから魔術師が出てくるのだという。それを狙って撃つよう、指示された。
 午後三時二十六分。待ち始めて三時間五十二分。今日の午後、その魔術師はそのドアから出てきて、出かけるのだという。少なくとも午後六時までには。
 待機ステイ
 待機ステイ
 待機ステイ
 雪を払うアクション
 待機ステイ
 待機ステイ
 待機ステイ
 待機ステイ
 雪を払うアクション
 待機ステイ
 ──
 
 かちり。
 鍵の開く音が空耳で聞こえた。
 ドアが開く。人が出てくる。
 真紅の外套を纏ったその人物は、優雅に長い金の髪をたなびかせて雪中に出、道の奥に歩いていく。──依頼の人物。
 照準は既に後頭部に定めている。躊躇いも舌なめずりもすることなく、淡々と引き金を引いた。
 
 ばがん。
 
 爆発音。或いは破裂音。殺しの音。焔。
 銃口から銀光が照射される。それは柔らかな雪を螺旋に渦巻かせ飛翔し結界を突貫し真紅の外套に肉薄し金色の髪に潜り込み頭皮に触れ破り頭蓋を突き砕き進入し内部を貫通し後に引き連れた衝撃がその中を吹き抜け掻き回し顔面が破裂し中身をぶちまけ紅く飛び散り雪を染めてその上に身体全部がどさりと落ちた。
 熱を帯びた薬莢が雪に落ち、溶かした。
「いやぁ、見事なものだね」
 後方から声。
 それまでの静止が嘘のような勢いで少年は銃を持ったまま跳ね起きた。その際傍らにあった予備の弾倉を引っ掴み、身を反転させながら空弾倉を落とし再装填リロード
 ザカッ、と機構を与えられた金属同士が擦れる音。少年は雪の上に座るような体勢で銃口を背後に立った人物に突き付け、また彼も同じ穴を突き付けられていた。
 右眼で久方振りに見るそれはやはり変わらず暗い。黒い。どこまでも落ちていくような、悪魔の住まう縦穴のような暗黒に満ちていた。無論だ。それは死しか吐き出さない獣の顎であるのだから。
 そして同じ銃口を見ているはずの、その全く宣告も予告も前触れも気配もなく自分の背中にいたのは、真紅の外套を纏い、優雅に金色の髪を雪風にたなびかせている、──自分が殺したはずの魔術師。
 にこり。
 自分と同じく、右眼を塞がれていたその魔術師はたおやかに、しかし幼く微笑った。
 女だった。十代後半、或いは二十代前半。全体に纏う落ち着いた雰囲気は、彼女を実年齢より上に見せているのかもしれない。──そう、この互いに互いの必殺の一撃を頭蓋の間近に突きつけあった状態で、彼女は落ち着いている。
 否、二人とも落ち着いている。
 少年は表情の浮かばない瞳と顔で、にこにこと笑んでいる女を見上げていた。
「この距離、魔術師も人間も、関係ないよね」
 誰にともなく現状を説明するように、女が口を開いた。
「そして互いに互いの命を握り、奪い合おうとしている」
 少年は答えない。答える必要はない。余計なことを考える必要もまたない。
 思考すべきはただ一つ。この魔術師をどうやって殺すかということだけ。
 先程、自分は間違いなく標的を殺したはずだ。なのにそれがここにいるということは、自分が殺したのは偽者か何かということだろう。狙撃は失敗に終わったと見ていい。ならば自分は、折角こうしてここに赴いてくれているのだ。依頼と架された誓いに従い、再度これを殺さねばならない。
 魔術師は喋る。
「君の構えている銃と、私の構えている銃は同じものなんだ。AMR──対魔術ライフルMGH-Sisters No.004《アンシーリーコート》。君の銃の名前、合ってるかな」
 少年は答えないが、それは正解だった。銃身の右、その中ほどには、確かにその番号と名が刻まれている。
「私の銃は、No.002《サンダーストラック》。……私のほうがお姉さんだね」
 人懐っこい笑顔を浮かべる。少年は揺らがない。
「で、私としては、君がこの銃を置いて早々に立ち去ってくれることを望むんだけどな。君を殺したくないし、そのほうが話も早いし。ね、どう」
 トリガを引いた。
 鋼鉄の内部で液体火薬が爆発する。発生した高圧のガスが、銀の弾丸を叩いて押し出す。ライフリング。銃弾が長い長いバレルの中で加速、回転しながら突き進む。刹那直後に反動リコイルを感じた頃には弾丸は咆哮と共に暗黒の顎から迸りしかしそこに魔術師の右眼はなかった。
 魔術師は首を横に傾げ、その横の雪の大気を削るように銃弾は進んだ。雪の虚空に。振り上げられた金の髪がそれに巻かれ、一房吹っ飛びながら白一色に金の螺旋を描いた。少年はそれを両眼で見ていた。自分が引き金を引くと同時に彼女もまた引いていて、彼女と同じように彼もまた首を傾げて銀弾を避けていた。
 衝撃は遅く感じた。接地せずに撃ったものだから右手の肩は綺麗に外れて動きそうにない。横に飛びながら彼は左手で腰の銃を抜いた。
 魔術師はライフルを投げ捨てていた。あちらは肩を壊してないらしい。両手にしっかりと銃を持っている。
 直角に跳ぶ。銃を振り上げ狙いも定めずに撃つ。定める必要がないからだ。銃に限らず、武器は手足の延長として扱えて初めて使うと言える。それまではただ持っているも同然なのだと教わった。
 一発、二発。回避された。もう一歩。魔術師が銃を構える。両手を持ち上げ、後ろに跳びながら交互に連射。少年は彼女の使う銃の種類を知っていた。八弾装填のオートマチックが二丁。自分は九弾装填のオートマチックが一丁。雪に銃弾の跳ねる音を聞いていく。五、六。また一歩を踏み出し発砲。三発目。
 九、十を数えたところで彼女は右手の銃の弾倉を捨てた。左手の一発を牽制に撃ち、即座に再装填。今度は右手だけを連射した。
 だんだんだんだんだんだんだんだん!
 巻き上がる硝煙が次なる弾丸によって渦を巻くように攪拌されていく。希釈される焦げ付いた煙の中、間断なく放たれる灼熱の鉄は少年のコートを切り裂きながらも、しかし一度として当たってはいない。少年が逃げているのではなく彼女が当てていないのだ。殺したくないのか。
 ならば好都合。二秒を待たずして全弾撃ち尽くした両手の銃の弾丸を再び装填する瞬間、少年は一段と強く一歩を踏み出した。
 或いはそれは猛獣の見せる低い跳躍だ。魔術師であるはずの彼女すら一瞬虚を疲れたような表情で胸元に背中から滑り込んできた彼を見下ろし、幼さの残る無表情な顔を上げ、見上げる彼の瞳に見つめ返された。銃口は、顎の下に硬い感触を。
 発砲。
 それと同時に女の身体が吹っ飛んだ。顎に銃弾を喰らったならば、それは確実に頭蓋の中を掻き回し死に至らしめているはずだ。
 しかし少年はそれを追う。
 何故なら彼女は凶弾を避けたからだ。撃たれる前に気違いじみた知覚速度で、彼女は自ら空を舞っていた。
 その証拠に、彼女の身体は高く舞い上がっている。たかが四〇口径の銃弾一発であれほど身体は吹っ飛ばない。というかこの至近距離で撃ち込まれたら、多分吹っ飛ぶのは頭だけだ。四方に。
 彼女は雪の空を倒立回転するように舞い──
 逆さまのまま、ぐるん、と背中を海老のように反らし上体を少年の方に曲げ、両手を伸ばした。左手で銃を構えながら追い縋る少年に向けて。
 連射。連射連射連射連射連射連射。
 弾丸の数は双方合わせて二十五発。彼もまた既に弾倉を取り替えていた。
 銃声が七を数える。魔術師の身体が落ち、向かいの民家の傾いた屋根に着地した。がん、と派手な着地音も銃弾に掻き消されるが、そもそもここ辺り一帯は人が住んでいない。廃棄された一角だった。迷惑になる心配もない。
 十五を数える。少年も跳んだ。銃弾を撃ち続ける標的に向かって。
 二十二を数える。この時点で彼の残弾はまだ三つ。即ち彼女は既に弾を撃ち尽くしている。再装填する素振りを見せたらすぐに撃ち、逃げたならまた追えばいい。そうして三発撃ち込んで、計二十五発は撃ち尽くされ、何故か魔術師の彼女の空っぽの銃口は彼に向けられたままで。
 二十六発目と二十七発目の銃声が聞こえた。
 跳んでいた身体が落下する。世界が上昇する中で見た彼女の手には、ついさっき見た二丁の銃はなく、全く別の銃が握られていた。
 記憶を再生する。落下する寸前の視界。その中で彼女は両手の銃を取り落とし、次の瞬間には外套の袖から小さな銃がそれぞれ、彼女の手に吸い込まれるように滑り出す。
 落下しながら弾倉を交換し、右肩から墜落。走る痛みを無視し腕を持ち上げる。彼女もまた少年を追い縋って屋根から飛び降りていた。落下軌道を読みそれに合わせて何度もトリガを引く。その度に銃声は二重に重なって響いた
 あやまたず魔術師の心臓に向かって放たれ続けた弾丸は、しかし掠ることさえない。銃弾が銃弾を弾き、逸らし、全て別の方向に飛んでいく。
 魔術師が着地、膝が沈む。少年は右に転がりつつトリガを引く。引く。引く。沈んだ姿勢のまま魔術師は走った。頭上すれすれを通り抜ける銃弾を、微笑いながら。
 後転して起き上がり少年は後方に跳んだ。後ろ向きに呼び越えたそれは中身の入っていない木箱、降り立つと同時に思い切りそれを蹴り飛ばす。鉄板仕込みのブーツは蹴りの衝撃で半壊した木箱を尖った木屑諸共吹っ飛ばす。魔術師はしかし足を止めることなくただ軽くステップを踏むように身を翻した。遅れて舞うコートの裾が木屑と、木箱そのものさえ受け止め打ち払う。
 少年は足を一歩前に踏み出した。肉薄する魔術師が唐突に逃げから転じたその動きに一瞬戸惑う。至近距離に置いて隙を見せた。
 ぐん、と膝を曲げ低い姿勢の彼女より更に低く沈む。滑走するように低く跳び新雪を撒き散らかしながら脚を低く薙いだ。地を這う鎌をしかし魔術師は跳び越え、同時に僅かながらバランスを崩し彼の横を通り過ぎた。
 銃を、振るった。
 銃口は即座に彼女の後頭部にポイントされる。先程ライフルで撃ち抜いた箇所と同じ場所。
 引き金を引いた。銃口から飛び出した銃弾が魔術師の後頭部に迫り────しかし直前で弾けた。
 魔術。彼の頭に閃いたのはそれだった。が、巻き起こされる風に紛れて運ばれた匂いがそれを否定する。
 嗅ぎ慣れた硝煙の匂い────そして。
 彼女が振り向いた。ふらついた足を地面に打ちつけ杭のように支えとし、身体の向きを捻じ曲げ彼のほうを向いた。つい今、下から直角に彼の銃弾を撃ち落とした、逆手に握られた銃が、くるりと彼女の手の中で回転し額にポイントされる。少年もまた銃を握り直し同じ額に狙いを定め、

 停まった。
 
 完全に。
 二人は動くのをやめ、トリガを引くことも視線を逸らすこともなかった。ただ狙いを定めた姿勢のままで、固まっている。
 雪が降る中に、
 その綿毛のような白さの中、無骨に無言で自己の存在を主張し続ける黒い鉄塊。──それが、二人が停まった理由だ。
 二人の銃は、互いにスライドが上がりきっていて、その中にもう弾丸が入っていないことを示す。空っぽのそれを突きつけ合っている中で、
「殺せ」
 空気を震わせた一言が、ようやく少年が発したただ一つの言葉であった。
 魔術師の右手と自分の左手、それらはどちらも空っぽの銃を握っているが──魔術師の左手は。
 これまで数えてきた銃声の数と、彼女の持つ銃の種類が自分の知るとおりの物であれば、彼女の左手の銃には、後二発、弾丸が残っているはずだった。
 そして、少年には一発の弾丸も残っていない。
 あるのはナイフ一本と手榴弾が一つ。だがそのいずれを取り出すのも、彼女は許してはくれまい。
 敗北を認めた。
「殺しはしないさ」
 銃を向けたまま、笑顔で魔術師は言う。
「そもそも私の目的は君とあの《アンシーリーコート》の確保だからね。かあさまからの頼みごとなの」
 少年は黙っている。
「事情は説明しておこうかな。かあさまは、君の持ってる《アンシーリーコート》や私の《サンダーストラック》、そしてその同型のものを回収してるんだ。理由は聞かされてないけどね」
 そして、と続ける。
「今回は君の銃だったわけだ。それと──君自身もね。これも理由は聞かされてないけど、かあさまに所有者である君を連れてくるよう言われてるんだ」
 少年は黙っている。
「そもそも──今回の依頼そのものが、私に仕組まれたものだって気づいてた?」
 ぴくり、と。そこで初めて少年の顔に変化が生じる。毛幅ほどの動きで、端正な眉が揺れた。それを見て満足げに魔術師は頷く。
「まぁ、それは良いさ。とりあえず私が君の依頼人ってことだね。で、君はちゃんと依頼を果たしてくれた」
 また少年の眉が動く。先程よりは大きい。疑問なようだね、と魔術師は言った。
「だがそれは違うよ。私が、あー、デイビス? エルビス? 彼に頼んだ依頼は、『本日正午より午後六時にかけてあのドアから出てくる、金髪で赤いコートの魔術師を殺すこと』だったろう? 決して『この私を殺すこと』じゃないんだから」
 あれは私が作った人形なんだ。自律稼動はしないけど、魔法の一つや二つ使えるから魔術師で間違ってない。そこで魔術師は銃を下ろした。
「だから君は既に依頼を遂行している。何も問題ないんだよ。私は君に興味を持って、だからああして声をかけた。戦うことを想定済みでね」
 悪かったね、と悪戯な笑みを浮かべる。外見に反してその笑顔は存外、幼い。
「興味対象を殺す理由もないからね、殺さない。君が私を殺したいなら受けて立とうとは思うけど、どうする?」
 笑みを浮かべる飄々とした女を見ながら、少年は僅かに思考し──すぐに、空っぽの銃を下ろした。
 それが信頼の証拠ではないことを魔術師は分かっている。彼は魔術師を討つ銃だが、銃は自らその弾丸を放つことはないのだから。
 少年は立ち上がり、外れた右肩をだらりと下げながら、左手だけで先程の民家の屋根によじ登った。魔術師は軽く雪を蹴り、ふわりと少年に続いて屋根の上に跳んだ。
 少年は《アンシーリーコート》を拾い上げ、魔術師を見た。魔術師はそれを見つめ返した。そもそも彼女の目的は、この銃の確保である。
「ところで、」
 魔術師が口を開いた。彼女も肩に、同じ銃を担いでいる。
「先の依頼は済んでるわけだから、またここで君に依頼をしてもいいんだよね。それとも……悪いね、人の名前覚えるのが苦手でさ、彼を通さないといけないのかな?」
 苦笑しながら魔術師は言った。
「……別に、構わない」
 肯定の返事が返ってきた。
「そう? ならちょっと頼もうかな。『私について来て、必要とあらば私が頼んだ魔術師を殺し、この銃の姉妹を確保する』こと。期間は無期限で。報酬は交渉次第。どう?」
 少年はしばらくそのまま動かなかったが、やがて手の中の長大な銃をその辺りに転がしていた縦長に馬鹿でかいトランクケースに仕舞うと、それを肩に担いだ。
 魔術師は屋根から飛び降り、少年もそれに続いて、歩き出した。
 
 
 
 雪の中。




















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