春ボケ。
 春休みではないから春休みボケではない──以前に、春休みという概念は現在目下欠落中である。
 香坂臣こうさかおみ、何故読みが『しん』ではないのかとつくづく思うが仕方ない。十九歳大学生。三月二十五日午後二時現在、自分がいる場所は病院で、つまりは入院中だった。左腕の骨折。全身にもそれなりに掠り傷を負った。頬には絆創膏が貼ってある。
 入院に春休みも秋休みも関係ないのだ。
 ギプスに固められた左腕を見る。動かさない限り痛みはしないが、少なくとも残りの春休みはこの病院で過ごすことになりそうだ。
 呟く。
「……バイトどうしよう」
 深刻な問題だ。事情を説明ししばらく休むことを了承してもらったとは言え、収入が途絶えるのはキツい。治療費他は事故を起こした相手持ちだが、生活費は自分で稼いでいる。独り暮らしの辛いところだ。
 まぁ、それはいいとしよう。貯蓄が全くないわけでもなし、ここにいれば飯は食えるのだから。後のことは後のこと、だ。
 深刻じゃないじゃん。
 深刻でないついでに、もう一つ深刻な問題ではないのは暇なことだった。親に本を持ってきて貰ったとはいえそれも読みつくしたし、如何に大病院とて本屋の品揃えは十全とは言えない。
 故に今日もこうして病院の庭で、暇を潰す方法を考えながら暇を潰している。周りにはやはり暇を持て余している入院患者。目の前を通り過ぎる彼らと時折挨拶を交わしながら、臣はぼへぇっと暇していた。
 ──と。
 がさっ、と背後で音がした。
 猫かと思ったが多分違う。猫は音を出さないし、ていうか今のは明らかに、ベンチの背後の茂みに何かが落ちてきた音だ。
 振り返り、僅かにへこんだ枝葉の中に自由な右手を突っ込むと、果たして硬い感触に指先が当たった。
 掴んで取り出すと双眼鏡だった。
 上を見上げると、縦に並んだ窓の中、一つだけ開いている窓がある。……この辺りは確か個室部屋だったはずだ。
「……ウムム」
 黙考三秒。
 臣はやれやれ、とベンチから立ち上がった。
 良い暇潰しにはなりそうである。






バッドガールズバッドマジック






/一日目



「あらどなたかしら。ああ、届けに来てくれたの。ありがとう。それでどなたかしら」
 誰何、理解、感謝、誰何。
 個室を訪れた臣を出迎えたのはその四連パンチだった。ストレート、フック、アッパー、ストレートだな、と臣は思う。心底どうでもいい。
 ベッドの上には上半身を起こし、本を開いた少女がいる。美少女と呼べるかな、とは思った。病院の外でなら。
 入院している人間には、病状・怪我の重さに比例して着飾る余裕など消えてなくなり、更に進めば元からもマイナスされるものだ。
 目の前の少女はその部類。自前なのか病気なのかは分からないが、あまり梳いていないほつれた長髪は深い紫色をしていて、眼も同じ。顔は白を通り越して蒼白、半開き眼の下には隈、頬はこけているとまでは行かなくても細いし、唇は乾き色も薄い。ピンクのパジャマの袖から覗く手首も筋が見えるくらい細かった。歳は多分、臣より四つ五つ下なのだろうが、全体の雰囲気は今にもお迎えが来そうな老人のそれだ。
 一言で言うとやつれてる。下手すると倒れそう。それでも元は良いのだから、まぁ、「押し倒したいけど押し倒したら色々と折れそう。どうしよう」程度には可愛い。
 入院生活から来る欲求不満からそう思いつつ、臣は返答する。
「双眼鏡を拾った人間です。届けに来ました。どういたしまして。で、誰あなたという質問には最初答えたから今度は僕は名乗るべきなのかどうなのか」
 とりあえず順番に答えてみた。ああ、と少女は言う。
「私から。春日井真白。十四歳」
「香坂臣、十九歳。はいこれ」
 自己紹介を終え、双眼鏡を手渡す。ん、と真白は受け取り、言う。
「わざわざ拾ってくれてありがとう。お礼をしたいところだけど、生憎今はお茶もお茶菓子も切らしてるの。残念賞」
「暇は?」
「余ってるけど」
「僕もだ」
 臣は笑う。真白は再び視線を本に落としつつ、言った。
「入院生活は暇なものだから。その暇を身体の治療に当てているのだし。忙しいわね」
「暇なはずなのに忙しいとはこれ如何に」
「暇は潰されなくては意味がないから」
 即答する。
 臣は何とはなしに、言葉を続けてみた。
「潰されない暇に意味があるとすれば、どんな意味かな」
「潰されない暇は暇ではなく、ただの空白と言うべきじゃないかしら。活用しないなら在っても無くても同じだもの」
 今度は真白が言葉を重ねてくる。
「なら、今ここに腐るほど横たわっているものは、暇? それとも空白?」
「腐りかけは美味しいと言うね」
「要る?」
「残念賞代わりに」
 暇潰しができた。
 相手がこの少女であるなら尚良い。臣は真白との会話を面白いと感じた。言葉は少なくも奇矯な遣り取りは何よりも愉しい。主にまともな言葉を使用しないという点で。
 奇矯な遣り取りを好む自分もまた奇矯な人間と言うことなのだろう。臣は思う。実際、そうであることは好きだ。──やはり奇矯だ。
 気付けば五つの歳の差を置いた二人の交わす言葉には敬語というものは存在しなかったが、後になって思えば互いにそんなもの必要ないと感じていたのだろう。
「本好きなんだ」
 椅子に座り、臣は病室内を見回して言う。一種、そこは別空間だった。床にはベッドから入り口までのルートと、洗面台の周囲を覗いて、所狭しと本が重ねられている。本棚がないので、書斎と言うよりは物置だ。
 白い病室の中に、けれど色とりどりのカバーは馴染みきっている。結構長い間、ここに置かれているのだろう。
 ここは彼女の城なのだ。知識の城砦、もしくは、袋小路。
 好きかどうかは、と手元の本を閉じ、真白は言う。
「分からないわ。することなくて読み過ぎて。……まぁ、年齢マイナス六年前はきっと好きだったと思うけど」
「日常」
「そゆこと」
 行為は習慣化し、習慣は日常化する。日常に好きも嫌いもあるまい。日常か、非日常かだ。
 尚は手近にあった本を取ろうとして、やめた。洋書だった。読めやしねぇ。
「あら、読む? 貸すけど。三日なら」
「礼代わり?」
「縁よ」
「なら、日本語のを」
 暇潰しには丁度良かろう。
 じゃあその辺、と真白は部屋の一角を指す。ちらと眼を向けると、確かにタイトルは日本語だった。
 後で吟味することにして、臣はここに来るに至った原因に触れた。
「ところで何で双眼鏡を落としたの? 窓から風景でも見てたんだろうけど」
「まぁ、そんなとこだけど。ここからは結構枝振りの良い桜が見えるのよ」
 ほら、と真白は双眼鏡を差し出した。臣はそれを眼に当て、窓の遥か向こう、小高い丘の上に一本だけ立っている桜を見て、
「でもまぁ、枝振りが良すぎたみたいで」
 見なかったことにした。真白が溜息をつく。
「首からぶら下がったデカい実が」
「……春だからかなぁ」
「春だからなのかしら」
 違ったかもしれない。
「まぁそういうわけで、いつも見ている景色に、いきなり首吊り屍体なんてあったものだから」
「ショックで取り落とした?」
「ムカついて投げた」
 良い性格だ。
「君とは仲良くなれそうな気がするよ」
「どの程度に?」
「うーん、ヤドカリとイソギンチャク?」
「共生ね。悪くないわ。妙があるし」
 にへ、とそこで初めて病弱少女は笑う。瞼は半開きのままなので、どこかこう、疲弊の果てに見せる笑みというか、徹夜明けの作家が見せる笑みになってしまっている。
 だが、この見た目不健康そうな少女の、多分これが普通なのだろう。失礼な話だが似合っている。ヤバげな笑顔が似合うというのもどうかと思うが。
「で、どーするよあれ」
「どうにもこうにも。誰か引き取るでしょ。今日日、収穫されない果実なんてないわ」
 まぁ確かに、ここは樹海ではないのだし。
「首吊りがあるのも気に喰わないけど花より先に実がつくのもね」
 皮肉めいて真白は言う。
「イチジクと思えばいいんじゃないかな。いや、あれ花あるけど本当は」
 臣が答えた。分かってるじゃない、と真白。
「貴方とは仲良くなれそうだわ。車椅子よりは」
 ベッドの横の壁には折りたたまれた車椅子がある。
「脚悪いの?」
「生来動いた試しなし。リハビリはしてるけどね。人の手で曲げたり伸ばしたり。……でもリハビリは元に戻すんだから、違うか。
 他にも身体のホルモンバランスも崩れたり内臓もおかしかったり、良い加減に壊れ気味」
「大変だね」
「同情はしないの?」
「お金が欲しい?」
「くれるなら貰う。まぁ、使う機会ないけど。でもまぁ貴方みたいのは珍しいわ。私を見た医療関係者以外の人は七割同情して二割が無関心で一割が同情を失礼と捉えるから」
 言って、どれが正解?と真白は訊いた。
 どの対応が人として正しいのかと。
「……僕が正解ってことでいいのかな、それは」
「そうね。貴方は正解」
 どーも、と臣は返した。
「正解者は初めて。貴方は私のはぢめての人ね」
「そぉいう誤解を招く物言いは人前ではやめて」
「誤解じゃなくする?」
 言って真白は下半身を覆っていた毛布を捲った。薄手のパジャマ越しに細りきった脚の輪郭が見える。
「……いや、しないけど」
「迷ってる癖に」
 真白が笑む。意地悪に──というか、狡猾な魔女のように。
「まぁちょっとは迷ったけど」
 性欲に正直に答えつつ、臣は真白が捲った毛布をかけなおす。
「正直ね。正直と気が利くことは美徳だわ。美徳な貴方には私の唇を」
「それはもういい」
「女の言葉を遮るなんて酷い」
「酷いのは君の顔色のほうだ」
「そっちは真面目に傷つく。まぁ事実だからいいけど──んぶっ」
 真白が背を折る。ぱたたっ、と毛布の上に鮮紅色が落ちた。
 臣の行動は速やかだった。ベッド脇にかけてあったタオルを取り、真白の口元を覆う。何度か真白が咳き込み、その度にタオルに血が染みていく。
 けふけふと五、六度咳き込んで漸く落ち着く。手振りでタオルを離させ、真白は息を吸い込んだ。
「……今日は薄いわね。味が」
 唇から顎にかけてが真っ赤に染まっている。粘性の薄い血液は顎から滴り落ちた。臣はタオルを洗面台で洗い、右手だけで握り締めるようにして絞り、真白の顔を拭いた。
「……ん、もういい」
 くすぐったそうにしていた真白の言葉。臣は素直にタオルをどかした。
「大丈夫なの?」
「大丈夫。本一冊分程度には日常よ」
 んぐっ、と数度喉を鳴らし、臣からタオルを受け取って、赤いものが混じった痰を吐いた。
「けど」
 幾らなんでも日常的に血を吐くのはマズいんじゃなかろうか。
「だから大丈夫よ。不治の病──と言うにはアレだけど、治る見込みがないってだけで、死ぬ心配はないから」
 当然のように真白は言う。
 だが当然ということはそれが繰り返されたということだ。行為が習慣、習慣が日常。本人は良くても周囲の人間は余計心配になる。
「ナースコール、押す?」
 それでも、臣は平然を装って訊いた。本人が大丈夫と言っているのならそれは信じよう。
 無論これから何があってもいいように注意は欠かすことなく。縁は、双眼鏡と本一冊分程度にはありそうだから。
「もう押したわ。ついでに着替えるから、貴方は出ておいて。本、好きなの持っていっていいから」
「そっか。分かった」
 適当に、殆ど表紙も見ずに本を手に取り、臣は部屋を出ようとする。
「ちょっと」
 真白が呼び止めた。何、と臣は振り返る。
 真白は、窓の外を眺めていた。表情は窺い知れない。
「私は貴方を何と呼べばいいかしら」
「皆は香坂って呼ぶけど」
「なら臣ね。私も真白でいい」
「うん」
「ねぇ臣」
「何?」
「──私ね、魔法使いなの」
 そう、と答えて臣は部屋を出た。





/二日目



 午前十時頃。
「というわけで読んできた」
「感想は?」
「オチが弱い。あと右手が疲れた」
「まぁそれだけ厚いのを片手で読んでればね」
 出会って二日目、部屋に入るなり臣と真白はそんな会話を交わした。
「途中で犯人が分かったのは痛かったなぁ。ミステリにあるまじきことだ」
「それは貴方の推理力が優れてたってことかしら」
「真白も途中で犯人が分かったんなら分かんないけど」
 彼女は読書中だった。臣に視線も向けず、答える。
「私は参考にならないわよ。犯人が登場した時点で分かっちゃったから。その作者ね、結構本出しててそれで十三作目。トリックと伏線の張り方は毎回斬新なのだけれど、犯人の出てくる時期とパターンの重ね合わせが大体決まっちゃってる」
「そういう見方で事件解決されたんじゃあ被害者も浮かばれないなぁ」
 言いながら臣は椅子に逆向きに座る。背もたれに右腕を寝せ、その上に顎を置いた。
「それで、何しに来たの?」
「何か用がなくちゃ来ちゃいけないかな。まぁ、僕も暇が発酵しかけてるだけだけど」
「身体に良さそうね」
 真白は本を閉じる。題名は『ガガーリンによろしく』。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「で?」
 最初に声を発したのは真白のほうだった。
「で、って?」
「いや、要するに私は突っ込み待ち状態だったわけなのだけれど昨日から」
「あー、魔法幼女って?」
「幼女違う。というか魔法少女とも言ってないし」
「まぁどれでもあんまり変わんないよきっと。……とは言っても正直、どう突っ込んだら良いのやら」
「男の子は突っ込むのには慣れてるんでしょ」
「そぉいう下品なギャグは言わない」
 まぁ、兎も角。
「魔法使いでも魔法少女でもいいけど、普通信じない」
「貴方は普通ね」
「まぁ、割かし平凡な人生送ってきたとは思う」
 少なくとも魔法が目の前を飛び交わない程度には。
 別に、と真白は言う。
「信じてもらわなくてもいいのよ。言ったのは貴方が初めてというわけでもなし。大抵は電波か冗談と受けるけれど」
「どっちのほうが健全かな」
「縁を切りたいなら電波、維持したいなら冗談。縁を深めたいなら、鵜呑みにする」
「難しいなぁ」
 ウムム、と臣は唸る。
「見ないことには信じられんし、保留かな」
「一般人の答えね。せめて詩人か哲人が良かったのだけれど。詩人曰く、『それは確かに魔法だ。君の心がそれを描くのならば』」
「……三〇点。哲人曰く、『君は魔法とそれを言うが、果たしてそれは本当に神秘の中でも魔法に分類されるべき神秘なのか?』」
「あなたも三〇点」
 お互いに微妙だと思いつつ、ともあれ。
「まぁ機会があれば見せてもらうことにする」
「案外近いかもしれないわよ、機会」
 意味深なことを言って、真白は枕もとの双眼鏡を持ち上げた。見る方向は言うまでもなく。
「昨日の人、降ろされた?」
「昨日の内にね。女子高生だったみたい。……まぁ、また新しいのが、朝に」
 また?と臣は少なからず驚いた。同じ場所で連続して二人?
「そう。見た目四十歳くらいの中年男性。丁度今警察が来てるわ。最初のと、まぁ年齢的には親子と言えなくもないけど……」
 後追い自殺だろうか。それとも昨日のは自殺に見せかけた他殺で、今日のはその犯人が自殺したのか?
 逆に昨日のが自殺で、今日のが他殺というのも大穴だが──ってそれは昨日読んだミステリの話だ。
 不謹慎を恥じつつ、ともあれ穏やかでないことは確かだ。春だというのに。
「……春だからこそ憂鬱になるってこともあるのかなぁ」
「私にあんまり季節は関係ないから、分からないけど。少なくとも自殺の季節シーズンでもないでしょう」
 確かに今は三月末。すぐに学校は学年が上がり、会社は決算の時期だ。人が死ぬのに好機シーズンも何もないのかもしれないが、それにしたって、普通は死ぬ暇もないほど忙しいのではないのだろうか。
 或いは、そういう時に空いたちょっとした隙間に、ふっと死にたくなってしまうのかもしれないけれど。
「どうであるにせよ見ていて気持ちのいいもんではないね」
「見応えのある自殺なんてものがあるならお目にかかりたいもんだわ」
 ふん、と真白は鼻を鳴らす。どうやら見たくもないものを二日立て続けに見せられて怒り心頭のようだ。
 この病室から見える景色と言ったら、この四角い窓の向こう側しかないので、それも当然なのだろうけれど。
「これが、桜の花が咲いてたのなら、まだ納得できるのだけれど。桜は生の象徴であり死の象徴。咲き誇る花に生命の輝きを見、散る花びらに潔い死を見るものだわ」
「でも咲いてねーじゃん」
「咲いてないわね」
 丘の上の桜は、つぼみこそついているがまだ一輪も咲いていない。見晴らしが良いとは言え、死に場所としては、普通選ばないのではないだろうか。
「ああ、下ろしたみたい」
 言って、真白は双眼鏡を下ろす。臣が双眼鏡を受け取って見てみると、青い服を着た人達が担架を抱えて丘を降りていくところだった。
「まったく。人が死ぬのは勝手だけれど、あれじゃ目立ちすぎるわ。人の目に付きやすいところで死ぬってどうなのかしら」
 病人らしくいまいち覇気がないながらも、ぷんすか怒る真白。年上の自分にタメ口きいても違和感ないのに、眼を細めて僅かに頬を膨らませた表情は歳相応に幼い。臣は微苦笑する。
「まぁ、流石に次はないと思うよ。二回も続けば警察も警戒するだろうし」
「だといいけど」
 横目で四角い風景を見、真白は憂鬱そうに吐息した。





/三日目



「……………………」
「……………………」
 沈黙。
 午後三時過ぎ。
 今日は午前中は真白がリハビリで、臣もついさっきまで検診を受けていた。
 それが終わった後で、臣はまた昨日借りた本を返しに来たのだが、
「……どういうことなのかしら」
「いや知らんけど」
 真白は随分と御立腹だった。元々重かった瞼が更に下がっている。
 つまるところ三人目が出た。今度は五十代主婦だ。
「家族でもないようだし」
 ニュースを放映しているテレビを見て、真白が言う。同じ場所で三人も立て続けに人死にが出れば流石にマスコミも黙っていないわけで、昼のワイドショーからひっきりなしに同じ内容が報道されている。
 どうやら三人とも全く関係のない赤の他人らしいのだが、それがより事件のニュース性を煽っている。
 あの桜は、所謂自殺の名所というわけでもない。何の変哲もない、花が咲けば花見が出来るようなそんな桜だ。
「……今年は誰も行かないだろーなー」
 臣が嘆息した。
「どう思う?」
「どう、と言われてもねぇ」
 真白の問いに臣は茶を濁す。
「どうとも言い様がないな。たまたま死に場所が重なった──ってわけでもないだろうし。自殺者の心理とか分かんないけど、普通、前日に人が死んだ場所で死のうとはしないだろうし。何にしろ、まぁ関連性を見出したくは、なる」
「関連性、ね……まぁそう思うのが普通か」
 んー、と真白は唸る。
「もう少し考えるべきところがあると思うけれど」
「というと?」
「そうね、では着眼点を変えてみましょう。同じ場所で三人が死んだ。ここで考えるべきことは」
 真白は眼を細め、ぴっと細い指で三を示した。
「一つは、何故一人目がそこで死んだのか。
 一つは、何故二人目以降が最初の一人に続いたのか。
 そして、もし一人目が別の場所で死んだとして──今回死んだ二人は、一人目に続くか否か」
 真白が臣の様子を窺う。臣は、ウムムと眉根を寄せた。
「そうだな。何故一人目がそこで死んだかどうかはちょっと保留する。二人目以降が死んだのは、偶然の可能性を排除するなら、二つ……いや、三つ、かな。
 三人がネットとかで知り合って、同じ場所で毎日死んでいこうと計画した場合。
 次に、三人は無関係で、先に自殺者が出た場所で敢えて死のうと思った場合。
 そして……まぁオカルトな話になるけど、後の二人が、一人目に呼ばれた・・・・場合」
「オカルトという言葉は今や意味が広すぎてアレだけど、まぁそんなところね。実は全部もしくは一部他殺だった、って可能性もあるんだけど」
 真白が口を挟む。だからそれは一昨日読んだミステリの話だ。
 臣が続ける。
「三つ目は──うーん、続かないんじゃないかなぁ。計画的自殺の場合は兎も角、後の二人も目立つからこそ続きたくなったのかもしれないし……それに『呼び込む』なら、あの場所はいかにもって気がする。ここで一つ目に答えるなら、最初の女の子はそこ・・だから、自殺したんだと思う」
「ん、そこまで分かってるなら合格ね」
 何が、とは真白は言わない。
「一つ目はこの際どうでもいいの。本人に聞かないと分からないから。二つ目と三つ目は、オカルトな仮定のほうが正解よ」
「幽霊はいるってこと?」
「そんなはっきりしたものじゃなくても、残留思念とかでもいいわよ。それとも魔法使いはいるのに、幽霊の存在は信じない?」
「別に信じたわけじゃないんだけどね、どっちも」
「疑り深いのね」
「疑う前提がそもそも成立してない」
 すげなく答える臣。
「言うわね。そこまで言われたからには実際に魔法を見せてあげる。……と言いたいところだけど、私の魔法は特定の目的以外には使えないし、第一、準備が万全ではないわ」
「ふぅん、魔法ってからには、もうちょっと便利なもんだと思ってたけど」
「それこそ誤解ね。魔法というのはそもそも面倒臭い下準備の上に成り立つ極めて地味な手段よ。特に昔は。最近でこそそうでもないけど、使う条件が厳しいのは変わらない」
 そんなものなのだろうか。魔法も色々大変らしい。
「一も知らない素人に百教えるのも面倒だから、あまり論じはしないけど。信じる信じないとは別に、元々魔法ってのはそんなものだと思っておいて。
 それに効果だって地味。外界に働きかける術というのは難しいものだから、火とか水とかぽんぽん出すってわけにはいかないのよ。それが罷り通るなら、それは『奇跡』と称されるべきでしょうね」
「外界への干渉が難しい……なら、自己の内面へはそうでもないってこと?」
 ふと疑問を口にした臣に、真白は嬉しそうに口元を歪めた。
「そゆこと。魔法というのはね、実は自己変革の側面が強いのよ。自分を変えることで、自分の周りを自ら変えていく。偉大な魔法使いの作った護符も、本人の努力なしには意味がない。神頼みと似ているでしょう? 祈るだけじゃ何も変わらない。神様は、努力しない者の前には現れない」
「自己催眠みたいだな、それって」
「変わらないわよ。要はきっかけになる何かがあればいいんだから」
 そこまで言って、けれど、と真白は続けた。
「滔々と説明しちゃったけれど、私の魔法というのはさっき言った『外界に干渉する』側なのよね」
「……難しいんじゃなかったの?」
「そうなんだけど、そうでもない。言うなれば私の魔法は川の流れを変えてしまうようなものじゃなくて、寧ろそれを正す側だから」
 真白は溜息を一つ。
「というか、それが限界。才能的な問題もあるし、何より自分にかかる負荷に身体が耐えられないの」
 それは臣にも納得できた。
 魔法といえば矢鱈と長い呪文が付き物だが、真白の場合唱えている途中に血を吐いてぶっ倒れてしまいそうだ。リアルにその様子が想像できてしまう。
「ま、講釈はこれでお終い。もっと知りたいなら、和訳本は幾つかあるけど」
「……いや、いい」
 丁重にお断りした。そう?と真白が少し残念そうに言う。
「まぁいいけど。それなら、さっきの話の続き。あの桜で死んだ一人目が二人目、三人目を呼び込んでると仮定して、ね」
 持って回った言い回し。臣に対する揶揄なのかもしれない。
「と言っても今の私達じゃどうしようもないし、今考えるべきことはもう一つ。つまりは、四人目以降も続くか否か」
「……続くだろうね」
 臣は顎に手を沿え、真剣な眼差しになって言う。
「まだ分かってないだけで、三人に何らかの共通点があるだけかもしれないけどさ。でも『呼ばれる』のなら、呼んだのが二人で終わるとも思えない。素人考えだけど、止めない限り際限なく続く類のものじゃないかな、これは。」
「素人考えで正解よ」
 真白は言う。
「目的のない行動は怖い。先の見えない闇は不安。終了時間が分からないのももどかしい。──動機がない人死には、とても恐ろしいわ」
「何処まで行けば、何時になれば終わるのか……分からないから」
 そゆこと。真白は答える。
「……どうしようもないか。本当にどうしようもないのかなぁ」
 臣が呟く。視線は、未だ咲かない桜を見つめている。
「あら、今更どうにかしたいとでも? 散々他人事みたいに話題にしてきたのに」
「他人事だよ。でもさ、どうにかできるならどうにかしたいと思う」
「偽善ね」
 真白が切って捨てる。偽善だよ、と臣が答えた。
「正義の味方やってるつもりもないし、そりゃ。自分はやっぱり平凡なだけの学生だから」
「分を弁えてるのなら、貴方は普通の人。その上で一日目、正解だったのだから、貴方は賢明ね。賢者には届かないけれど」
「賢明とも思わないけど」
「血を吐いた人間を前に隙も見せず行動できる人間が良く言う」
 真白が口元だけで笑う。
 そういうものなのだろうか、と臣は思う。別に特別なことではないと思うのだけれど。
 誰だってああいう場面に出くわしたら、咄嗟に動くものだと思う。
「まぁ、相対評価だけどね。平均点が下がってるし。
 ……どちらにせよ、普通な貴方の出る幕はないわよ。警察も馬鹿じゃない。もう桜の周囲には黄色いテープが張られてるし、夜間の巡回もやるでしょうね。
 寧ろ、のこのこ出て行ったりなんかしたら補導されるし──最悪、貴方が『呼ばれる』わよ」
「……別に僕は自殺するような悩みはないけど」
「その気がなくてもその気にさせるのが自殺の名所ってものよ。触らぬ神に祟りなしね」
「自殺して死んだ人も神様なの?」
「首を吊ってる女神ならいるわよ。マヤ文明」
「あんまりお目にかかりたくないなぁ……」
 想像したのか、げんなりした顔で臣は言った。
 そこでふと、真白が時計を見る。
「……ん、そろそろ医師せんせいが来るわね。貴方も部屋に戻って」
「ん」
 頷き、臣は立ち上がる。一昨日と昨日もそうしたように、また別の本を手に取り、
「臣」
 一昨日と同じように、真白の声が呼び止めた。
「偽善に付き合ってあげるわ」





/四日目



 午前中、朝食を取った後に臣は真白に呼び出された。
 正確には、朝食を運んできたナースに真白が呼んでいたことを知らされたのである。
 ナースに平気で伝言役を頼む辺り、真白の病院生活の長さが窺い知れようというものだ。そんなことを思いながら臣は真白の病室に入った。
「真白ー」
 呼びかけると、真白は読んでいた本を下ろし、
「──うわ」
 臣は思わず引いた。
 不気味だった。
 真白の眼の下の隈は更に濃くなっている。半眼は今や四分の一眼となり、なのに瞳はギラギラ輝いている。口元には疲れ果てた者特有の薄ら笑いが浮いている。
 昨日までのが『今にも倒れそう』だったのなら、今日の真白には間違いなく『今にも倒れる』という確信が持てる。
「いや……どうしたの?」
 立ったまま訊く。正直近寄りがたい。
「あー、まぁ、貴方の偽善に付き合った結果よ」
 うふふふふふふと彼女らしからぬ笑声を漏らす度にがっくんがっくん首が揺れる。怖い。
「出さなかったわよ」
「は?」
 声をかけあぐねていると真白が不気味な笑みを浮かべたまま言った。
「自殺者」
 窓の外を示す。
「……どうやって?」
「簡単な話。自殺の瞬間を目撃してナースコール押して通報してもらっただけよ。昨日から警察があの辺りを巡回していたみたいでね、間に合ったみたい。
 それにしても厄介ねあの桜。死人の数だけ力を強めてるんじゃないかしら。一晩中見張ってたんだけど、午前四時頃、人が首吊る瞬間までそこには何も見えなかった」
「一晩中、って。じゃあその棺桶に片足突っ込んだみたいな顔は」
「そゆこと」
 うへへ、と勝ち誇ったように(?)笑う真白。だから怖い。
 だが真白は、自分の偽善に付き合ったと言った。
「……ありがとう」
「あら別に礼なんかいいのに。私がやりたかっただけなんだから。吊った人も一命は取り留めたけど、まだ意識戻ってないしね。でも感謝してもらえるのは嬉しいことだわ嬉しいことね。うふふふふふふふふふ」
 がっくんがっくん。……だから怖いって。
 真白は何もない虚空を見つめ、諸手を掲げた。
「ああ、徹夜なんて何年ぶりか分からないけど、素晴らしい気持ちだわ、今。世界が生に満ちているかの如くきらきらと輝いている」
「幻覚だよ」
「空間を広く感じるのにその全てに意識が行き届いているかのよう。身体が軽いわ。今なら何しなくても空が飛べる」
「トぶなトぶな」
 どこか別の世界にイってしまいそうだ。
「何よつれないわね。いつから貴方、そんなノリの悪い人間になったのかしら」
「君のノリが良すぎるだけだ。自殺を止めてくれたのはいいけど、君が身体壊しちゃ意味ないだろ」
「うふふ、心配してくれるのは嬉しいわね。けど大丈夫よ、こんな身体だから、自分の限界はちゃんと弁えてる」
「限界一杯まで行動する馬鹿がどこにいるよ」
 間があく。真白が少し俯き、窺うように臣を見た。
「……怒ってる?」
「少しね」
 言って、臣は洗面器にタオルをつけ、やはり片手だけで絞る。絞ったそれを一度開いて四つ折にし、真白の額にあてがった。
 ん、と真白が心地良さそうに目を細める。
「一晩中起きてたんなら、汗とか結構浮いてるでしょ。拭いとくよ」
「ありがとう。……ごめんなさいね」
「別にもう怒ってないよ」
「じゃあ今のは次の時に取っておくわ」
 くすりと──不気味ではない笑みを真白は浮かべた。
「──ああ、顔を拭いて貰ってるついでで悪いんだけど」
「何?」
「身体も拭いて」
「ぶー!」
 噴いた。
「いやいやちょっと待て。何で僕が」
「ついでよ」
「ついでって。僕男だよ?」
「嬉しいじゃない。合法的に年端も行かない女の子の身体に触れるのよ」
 真白がしなを作る。この女完全にナチュラルハイだ。
「まぁ、お詫びも含めてね。謝罪ではなく。
 ……それと正直、汗は背中のほうがたくさんかいてるの。自分で拭こうにも徹夜明けで身体があんまり上手く動かなくて」
「最初っからそう言ってよ。って身体をお詫びってそれ犯罪すれすれ」
「合意の上よ」
 頭を押さえ、背を向けた臣の後ろで真白が服を脱いでいく。小さく聞こえる衣擦れの音が、ひどく耳に響いた。
「別に見ててもいいのに」
「見ねーよ」
 悪戯な真白の声に素っ気無く返す。
「純情なのか律儀なのか。……脱いだわよ」
 臣が振り返ると、上半身真っ裸になってあまつさえ前を隠そうともしていない真白がいた。
「少しは隠そうよ」
「別にいいのよ。見るようなものないでしょ。それとも貴方は、こんな生産性のない身体に欲情するような性倒錯者なのかしら」
 真白が腕を組んで、辛うじて、その薄い胸は見えなくなる。
 確かに、見るようなところはない。肋骨も背骨も全部はっきりと浮き出ていて、肌は真っ白で血管が見える。痩せ細った身体は完全に病人のそれだ。女性らしい柔らかさなど皆無と言っていい。
 だが、臣は男で、目下禁欲生活中である。そう見えなくても目の前にいるのが女性だと分かっている以上、何の感情も抱かないかと言えばそうでもない。
 とりあえず今はそれを押し込め、真白の背中を拭く。水が冷たかったのか、ん、と真白が身をよじらせた。
 ごしごし。
「……ん、」
 ごしごし。
「ふ……ぁ、……」
 ごしごし。
「…………ぅあんっ」
「悶えるな!」
 べちっ、と臣は真白の首にタオルを投げつけた。
「痛いわ」
「なら少し黙っててよぅ。集中できないから頼むから」
「あられもない私の声を聴いて欲情したかしら」
「いいから静かにして」
 再開。今度は、真白も何の声も出さなかった。
 だが代わりに時々ぴくりと肩が跳ねて、見ていて落ち着かない。
「……そういえばさ」
 自分の煩悩を振り払うように臣は話題を持ち出した。
「さっき、『何も見えなかった』って言ってたけど」
「うん? ああ、実際その通りよ。結界よ結界」
「結界?」
「そう。外からは中で何が起きていても見えない結界。あの桜の周囲にはそんなものが出来上がっちゃってるのよ。呼んだ人間が首を吊るのを邪魔されないようにね。
 昨夜も見ていたのが私だったから分かったようなものよ。普通なら朝まで気付かないところね」
「タチ悪いな、それって」
「かなりね。……でも、そこまで出来るってことは、そろそろまずいかしら。今夜の月齢は?」
「うん? 確か、満月のはず」
「──そう」
 一度タオルを絞る臣の横で、真白が思案するよう俯いた。
「臣、貴方今夜空いてるかしら。一時頃」
「夜中の?」
「そう」
「まぁ、寝てるし」
「暇ね。じゃあその時間になったらこの部屋に来て。必ず」
「……何をする気?」
 真白は振り向いて、笑う。
「何とかしたいんでしょう? ──何とかさせてあげる」
 真白が窓の外を見る。
安楽椅子探偵アームチェアディティクティブの真似事も終わりよ。幕を、引かないとね」
 一瞬。
 そこに居るはずの真白が何故か遠くに見えた。
「……臣」
「あ、な、何」
 はっと臣は我に返り、真白の言葉を待つ。
「私のほうが欲情してきちゃった」
「一人で言ってろ!」
 べち。





/五日目



 日付が変わって一時間後。
 気配を忍ばせて、臣は真白の病室を訪れた。
 消灯時間を過ぎているので明かりはついていない。
「まし──」
 ろ、という音は出なかった。
 ──月光。
 病室は時間の止まった水の底のようだった。窓から差し込む針のような満月の光が、部屋を蒼白に照らしている。
 その止まった時間の真ん中に──ベッドに座り、月を見上げる少女がいる。
 真白、という名前を持つ少女はその名の通りに白く、まるで風景のようにその中にいる。過不足なく、不可分に、逆に、違和感を覚えてしまうほどに溶け込んで。
 この世の人間とは、否、この世とは思えない場所。
 一枚の絵。──その中の少女が、臣を振り返る。
「──ん、時間通りね」
 世界が現実に戻る。差し込む月光の色も冷たさも変わりはしないが、けれどここにはもう先ほどまでのような静謐はない。
「ごめんなさいね。充電中だったものだから」
「充電?」
 月の魔力をね。真白は言う。
「準備するから少し待ってて」
 ベッド横の棚から、真白は幾つかのアクセサリーを取り出した。
 髪と同じ色のリボンで長い髪の下のほうを束ね、首には五芒星を茶色い紐で吊った首飾りを下げた。
 半ば呆然としていた臣は漸く自分を取り戻し、いつものように椅子に座った。
「どうする気?」
「決まってるわ。あの桜のを退治しにいくのよ」
 手首に、様々な色で編んだ腕輪を嵌めた。
「ところで思ったのだけど、アームチェアディティクティブは言うほどアームチェアしてないわね。特にホームズ」
「ホームズは元々違う気もするけど」
「そうなのワトソン」
「そうだよホームズ」
 他愛ない遣り取りは間違いなく真白のものだ。柄にもなく臣はそれに安堵する。
 真白は、棚の二番目の引き出しから、三本の棒と、直径十五センチ程度の金で出来た三日月を取り出した。三日月の中心には、真球の赤い宝石が嵌め込まれている。
「……最近のステッキは分割式なの?」
 全体像を想像した臣が言う。
「ステッキじゃなくてスタッフよ。収納性には優れるわね」
 いまいち効果がないような気がする。真白が本当に魔法使いだとしても、少し不安だ。
 もっとも、その仮定にはもう意味はない。こんな時間になってあの桜の木のある丘へ行こうとしている時点で、少なくとも真白が普通の人間でないことは確かだ。……今までのが全て妄言でない限り。
 かきん、と棒と棒が、磁石でもないのにくっついた。
「何事も現場百回、か。生憎、探偵は口先だけで済むけど、私は加えて座標指定が必要だもの。検死と警官と送迎を全部こなさないといけない。面倒ね」
「やらなきゃいーじゃん」
「誰がやるのよ、私の景観の掃除。出来る人間私しかいないのに」
 かきん、がきっ。一本に繋がった棒の先端に三日月が乗り、『魔法使いの杖』が完成する。
 杖を一振り。
 ぎしりと、安楽寝台魔法少女ベッドリドンマジックガールは己が住処を軋ませる。
「いい加減、人死にを見るのも億劫でうんざりでお腹一杯だわ。昨日みたいな徹夜も御免。これ以上はゲロしそう。私が死を。感化されるのも看過するのも、御免だわ」
「女の子がゲロとか言うもんじゃないよ」
 純情ね、と真白が言う。
「まぁ、いいわ。さっさと戻すべきものを戻すべき場所へ、戻さないとね。──行きましょう」



「……で、こうなるわけね」
 成程確かにヤドカリとイソギンチャクだ。
 何とかさせてあげる、というのはこういうことか。自分は真白の脚代わりである。
 しかしこの場合、ヤドカリにとって得るものは背中に感じる少女の柔らかな肢体と温度しかないのだから、
(いや、まぁ、うん)
 それはそれで良いかもしれない。
 病院から丘の下の公園までは車椅子で移動し、そこからは臣が真白を背負って移動している。月の光が明るいため、足を取られるようなことはない。
「というかおんぶなのね。お姫様抱っこでもしてくれるかと期待してたのに」
「あれは腕が疲れる」
 背中全体で体重を支えるのと違い、所謂お姫様抱っこは腕の力だけで支えなくてはならない。いくら真白の重量が軽いとはいえ、そのまま丘を登るには無理がある。ファンタジーの王子様は腕っ節が強くないとやっていけないんだなぁ、と臣は変なところに感心した。
「どっちにしろ腕がこれじゃ無理だっての。一番楽なのは肩に担ぐことなんだけど」
「ごめんそれやめて」
 などと言い合っているうちに、警察が張った黄色いテープが見えてきた。
「ところで臣、気付いている?」
「何に?」
「私達ここまで来たのに、誰にも出会ってないわ」
「そりゃ夜だし」
「公園にパトカーが止まっていたのは気付いていた?」
「…………」
 気付いていなかった。
 真白の言う通りパトカーがあったのなら、それに乗っていた警官がいるということだ。実際昨日の自殺者は、警官が近くを巡回していたお陰で助かったのだから。
 警官がいたなら、自分達もここに来るまでに見つかっていた可能性のほうが高いはずなのに。
「それに、静かよね。猫の声も犬の声も虫の声も──何の音も何一つ、聴こえやしない」
 まるで何もかもが死んでしまったように。
 ああ、と真白が頭を抱えた。
「全く面倒。もう少し楽に行きたかったのだけれど──満月なのはあちらも同じなのだし。
 ただ、この面倒が、『最悪』になってなければ良いのだけれど」
 ──不意に。
 臣の背中から真白の重みが消えた。
 慌てて振り返ると──空中に、真白の身体が浮いている。
 右手に三日月の杖を携え、月光の中で重力から切り離され。
「魔法使いって言ったでしょう」
 うわぁ、と臣は頭を抱えた。
「……マジだったとは」
「最初から本当と言ってたわよ。受け入れなさい」
「いやもう受け入れたけどさ、あれだよね。これ序の口だよね。ってことはつまりさ」
 臣は、黄色いテープの向こう、月光の下で静かに佇んでいるように見える、花の咲いていない桜を見る。
「この向こうには、もっと人外魔境が待ってるってことだよね」
「分かってるじゃない」
 真白が言った。
「さ、分かってるならちゃっちゃっと境界を越えなさい。そっから先はあちらさんの領域。虎穴に入らずんば」
「虎児を得ず」
 警告色を乗り越える。
 ──眼前には満開の桜。
 夜だというのにその色を闇に沈ませない、狂おしいばかりに咲き誇る、幽玄の桜があった。
 いや──咲いているのではない。そこには本当の花など一輪もなく、ただ、白い光が灯っている。
 それは、人間の魂のような。
「……今夜来て正解だったわね。昨夜ちょっかい出されたのがそんなに悔しかった? それとも月齢の影響なのかしら。そこら中の人の魂片っ端から蒐集するつもり?」
 真白が呆れたように言う。
 道理で警官に会わないわけだ、と臣は納得した。彼らの魂も、今はあの花のどれかなのだろう。
「幾ら枝振りが良いからって、実が付きすぎね。折れるか腐るか。肉体と魂が分離すれば、どちらもやがて腐って死んでしまう。腐ってしまえば何にもならない」
「不謹慎だけど、養分にはなると思う」
「養分と一緒に残念まで吸い取っちゃ見る人もいなくなる。相殺してプラマイゼロね。得るもの無し。
 ううん、寧ろ加速度的に死人ばかりが増えるなら、やっぱりマイナスか。──ねぇ?」
 白い桜。
 その中心に、少女が一人浮いている。
 真っ白な顔で、真っ白な死を身に宿らせて。
 ……一人目の自殺者。
「今晩は、主犯。そしてさようなら、主犯」
 ──風が迸った。
 真白が振るった杖に当たった白い光が、鈴が砕けるような音を立てて弾かれた。
「乱暴ね。私、暴力は好きじゃないのよ。──第一自分から死んだ人間が、まだ生きている人間に触れようなどと、思い上がりも甚だしい」
 真白が剣呑な光を瞳に宿らせる。びくりと、少女が手を胸に抱いて怯えたように後退する。
「人間の頃の思考能力は残ったままか。では、二人目と三人目を誘ったのも、貴女の意志ということね?」
 真白は言う。
「二人目の男性は、サラ金から借りた金が返せなくて困っていた。三人目の女性は、老いた養父母の世話に疲れていた。四人目は最近子供に死なれたそうね。テレビで報道されてたけど、まぁ自殺の理由としては余りにありきたり。
 そして一人目の貴女は──中学生時代は幽霊少女って言われてたそうね」
 少女と臣の両方に、真白は語る。
「そのせいで苛められて、卒業してやっと解放されると思ったら、不治の病が見つかった。それに絶望して死んだ。
 せめて自分の好きだった桜と一緒になって、咲きたいと願って。
 ……御神籤じゃないのよ。木に括ったって残念が残るばかりだわ。まぁ、私も病気持ちだし、この桜も好きだから、その気持ちは分からないでもない」
 けれど、と真白は杖を振り下ろす。
「自殺するのは勝手でも」
 しゃらん、と杖が鳴る。
「決めあぐねている人を彼岸に傾かせるのは、余計なお世話。あなたは、小さな親切のつもりかもしれないけどね」
 桜の中心に浮かぶ少女がたじろいだ。
「死にたがっていたかもしれない。でもそれは自分で決めることよ。貴女が、貴女の安楽である死を他人に与え、故意に安楽な死に誘うことは許されない。
 ──それはただの殺人よ。
 仲間が欲しかった? それとも同じような境遇に同情したから、死に誘ったのかしら?
 前者ならまぁ認めてあげるわ。人は群れなくては生きていけないものだもの。私だって群れの中の一人だもの。人としての意識を遺したままの貴女がそう思うのも、無理はない。
 けれど後者はそれこそ余計。同情を受けるかどうかも、あなたが決めることじゃない。
 善意の押し売りなら、方向性が後ろ向きであれ、まだいい。けれどこのまま此処の力が強くなれば、貴女が勝手に同情して、ちょっと誘っただけでも人が死ぬわよ。
 ありもしない感情を同じくすることなんてできないのに。
 だから臣は正解で、あなたは全身全霊不正解」
 真白が、線を引くように指を左右に走らせる。
「まぁ何より。私の景色を邪魔するのはいただけない。
 ──この桜、結構気に入ってるの。死人が場所取りしないでよ」
 
【月光よ】

 空間に三重に響く真白の声。それはこの白桜の空間を違う色へと塗り替えていく。
 蒼く白い、月の色へ。
「臣」
 杖で中空に陣を描きながら、真白が言う。
「妨害してくると思うから、私を護って。あそこにいるのは幽霊ばかりだけど、この空間では実体持ってるから」
「えぇ!?」
「何とかしたいんでしょう? 言ったことの責任は取らないと」
 笑顔。
「……まぁ、野次馬で終わるのも寝覚めが悪いけどさ。でも殴って大丈夫なの? 人の魂」
「大丈夫よ。割と頑丈だから」
「そうかい」
 臣が身構える。
 白い光が、次々と臣に突撃していく。
 
【掃天の視界 蒼天の死界
 夜行の操典を私に据え 月針の装填を私に終え
 然りて深遠の真円 深淵の神苑 夜空を貫く葬送の縁に私は立つ】
 
 臣は左腕を吊る包帯を解き、ギプスで固めたままの腕を向かってくる人魂にぶち当てた。衝撃が左腕全体を揺らして結構痛い。
 弾かれた人魂は弧を描いて桜まで戻り、けれどまた大きく回って向かってくる。
「サイコゴーストというのは厄介ね。死後も余計な力を持っている。この場合は霊魂を操る能力ってことかしら──ごふっ」
 詠唱と愚痴と吐血を同時進行する真白。
「ちょ、大丈夫なの? うあっ」
 臣は振り返る余裕もない。人魂を凌ぎながら、心配そうな声をかけた。
 べっ、と痰を吐く音が聞こえた。
「大丈夫よ。私の魔法には付き物だから。……あーちょっと味が濃い」
「憑き物はあっちだけどね」
「ギャグ言ってる余裕があるならちゃんと護ってよ?」

【遥か遠けき月天子 願わくば其の門の前に立て
 集う御霊 彼の果ての眠りの椅子へと 紫陽の花を道の導に】
 
「私の魔法を教えてなかったわね、臣」
「あー! そういや聞いてなかったけどぶっちゃけ今そんな余裕がないっていうか!」
 とうとう臣は人魂と取っ組み合いを始めた。鰻かこいつら、と良く分からないぼやきが聞こえた。
「まぁいいけど。流し聞いといてくれれば」
 鈴が転がる音。
「私の魔法はたった一つ。『在るべきものを在るべき場所へ戻す魔法』。ただそれだけ。
 ──でも、だからこそ、貴女達をちゃんと元の居場所へ還してあげられるわ」
 杖が描く光輝の線が、全て繋がる。
 
【木は育ちやがて朽ちて
 火は熱くそして冷めて
 土は乾き風に飛ばされ
 金は錆び行き朽ち崩れ
 水は高きより低きへと
 
 因果の門 摂理の鍵
 人は地へ 獣は森へ 鳥は空へ 虫は林へ 魚は水へ 屍は月へ
 余さず残さず零す事無く 万物遍く 此の手が送る】
 
 因果を歪め、摂理を外れ、その果てに戻ることすら出来なくなったものを、立つべき場所へと戻す魔法。
 火も水も出せないそれは。
 
 ────病弱少女の素敵な魔法バッドガールズバッドマジック
 
「ではさようなら。──桜の咲く所を見れなくて、残念だったわね」

【在るべきものを 在るべき場所へ】

 瞬間、しゃらん、と星の零れる音がして。
 ──一万枚の硝子をまとめて割ったような甲高い音が鳴り響いた。
 白い桜が全て散る。霊魂が元の場所へと帰っていく。
 散り行く花びらの中で、少女は一度自分の両手を見、
 
──────────────

 導かれるように、天へと昇っていった。
 ……静けさを取り戻す世界。
 彼岸から此岸へ戻ってきた桜は、今度こそ本物の、満開の桜色の花を咲かせていた。



「桜は、元々生と死を内包するものだから」
 幹に背を預け、舞い降りる桜の花びら一つ一つを眼で追いながら真白が言う。
「桜の色は赤と白から為るわ。赤は血、情熱、炎……兎に角、動く様や生そのものを思い起こさせる色。白は骨、寂静、灰とか、動かないもの、死を思い起こさせる。
 魂に本来色は無い。あの子の咲かせた花が白かったのは、あの子がどうしようもなく、既にあちら側だったからよ」
 風に踊る花びらは、赤と白を等量ずつ混ぜたような、とても綺麗な桜色をしている。──生と死の共存。
「……この花は、この桜なりのあの子への餞なのかもしれないわね」
「ロマンチックだなぁ」
 背伸びをしながら、咲き誇る桜に臣は素直に感動していた。
 あの少女が集めてしまった魂は、それぞれの身体に戻っただろう。皆朝までには目覚めるだろう、と真白は言う。自殺させられてしまった二人は、少女と一緒にあの世に渡った。
 何もかもが元通りと言うわけではないし、良い結末とも言えないが、ちゃんと落ち着くところに落ち着いたということだ。
「綺麗なものは良いものよ。多少摂理を外れてもね」
 一瞬にして全ての蕾を花開かせた桜は、白く鋭い月光を柔らかく透過して臣と真白へ降り注がせている。
「この木、樹齢長かったかしら」
「江戸時代くらいからあるとは聞いてるけど」
 それなら多少意志を持っても不思議じゃないか、と真白は言う。
「……ところで、これからどうしようか。このまま花見しててもいいけど、あんまりいると風邪を──」
 振り返ると、寝息が聞こえた。
 真白は幹に寄りかかって眠っている。
 一瞬ぽかんとして、臣はくすりと笑った。
「お疲れ様」
 羽織っていたジャケットを真白に掛け、臣は桜を見上げる。
 折角咲いた桜だが、明日からの花見客は多分ないだろう。
 機会があれば、今度は昼のうちに真白を連れて見にこようと思った。













"BadGirl's BadMagic"
fin/to be continued...?











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