死神




・死神の定義
 死神、と聞いて人は何を思い浮かべるだろう。多くは、黒いローブの下に骸骨を隠し、三日月型の巨大な鎌を持つ姿を想起するのではないか。
 しかしそれは外見であって、本質ではないわけで。
 では死神の本質とは何か、死神とはそもそもどういったモノなのか、と問われると、多くの人は詰まってしまう。
 辞書で調べれば「人を死に誘う神」。英語なら「Death」、或いは「Grim reaper」または「Reaper」のみで表記される。「Death」は言わずもがな。「Grim」は「厳格な;残酷な;無慈悲な」などの意味を持つ形容詞で、「Reaper」は「収穫者」などの意味を持つ。
 これらの名称は正しく死神のその姿を表しているといえるだろう。


・収穫者としての死神
 ここではそれぞれの言葉の意味について考えてみる。
「Reaper」、前述の通り収穫者という意味を持つ言葉だが、何故これが死神の名称となりえたのか。考えてみれば簡単なことで、人間が鎌を使って麦の穂首を刈り取るように、死神もまた人間の首を刈り取るのだ、と考えられた。死神の持つ鎌はその象徴なのだろう。
 そして死は無慈悲である。故に「Grim」。厳格に、区別なくやがて訪れる「収穫」だからこそその文字を冠した。
「Death」については語るまでもないだろう。死が死神の与えるものであるなら、死神そのものが死を意味する。


・死神の大鎌
 死神の大鎌の起源として、ローマ神話の農耕神サトゥルヌス(ギリシャ神話でいうクロノス)が上げられる。農耕神としてなのか、1023年のラバヌス・マウルス『百科全書』写本の一つではサトゥルヌスは大鎌を持っているようだ。ちなみにキリスト教が布教されてからは、他の神々同様サトゥルヌスも「異教の神」=「悪魔」として扱われるようになっていく(だからメガテンシリーズでも邪神だったり)。その辺りも、サトゥルヌスの大鎌が死神のものとなっていく過程としては見逃せない部分だろう。
 またパノフスキーの『イコノロジー研究』の「時の翁」の章では、鎌を持つ人物図像について扱われているようだ。そこではまず、ギリシア・ローマ時代に「去勢道具」「農具」である手鎌を持つクロノス・サトゥルヌスの図像があった、とのこと。(伝聞系ばかりなのは自分が未読だからである)
 パノフスキーは「実際サトゥルヌスと同じように<死>はごく早い時代から大鎌か手鎌を持った姿で現されたのである」と書いており、参照図として先ほどの写本と同じ時代に手鎌を持った<死>が顔を目だけ出した姿で描かれている姿が載っている。(ただこれは骸骨ではない)



・骸骨
 前項では大鎌について述べたが、では死神本体の容姿についてはどのようにして定まっていったのか。
 黒いローブも骸骨も、共に死を連想させるものだが、それが如何にして出来上がったのか、ということ。
 タロットの『死神』は、最初に述べた骸骨・大鎌・ローブのイメージで表されることが多い。ただ自分がこれまで見てきたタロットの『Death』は、ローブを着ているものは少なかったように思える。素っ裸の骸骨が大鎌を手にしている構図が多かった。
 現存する最古のタロットは14、5世紀ののもので、このタロットの『Death』も既に骸骨と鎌であったようだ。
 ちなみにペストが流行したのもこの頃である。有名なペストの一枚絵に「死の行進」というものがあるが、これでは正に黒いローブを着た骸骨が大鎌を持ち、その足元には多くの屍が倒れている。
 タロットそのものの起源にはエジプト説・インド説などがあるが、14、5世紀にタロットが普及した際、13枚目の『Death』にペストの恐怖を重ねて描かれた、というのも充分に考えられるだろう。
 個人的には、農耕神サトゥルヌスの流れから『大鎌を持った者』というイメージが出来上がり、それがペストの流行に伴って『大鎌を持った骸骨』という、現在の死神の『完成形』が出来上がった、という説を支持したい。
 余談になるが、タロットの『Death』が司るのは「死」ではなく、「死と再生」である。ギリシャ風に言えばタナトスとエロスだ。このカードが象徴するのは、物事を締めくくる結末ではなく、次へ続く「節目」なのだ。


・大鎌の実用性
 普遍的イメージでは、死神は大鎌を持っていた。ゲームなどでも武器の一つとして出てくることがあるが、しかしそれは現実に使うことの出来るものなのだろうか?
 実を言えば戦争などで使われた記録も残っているらしい。ただし、それは侵略を怖れた農民が手近にあったものを武器として戦ったに過ぎないようだ。鎌とはそもそも農耕具。この場合はやはり、穂首刈りに使うような手鎌ではなく、長く伸びた雑草を刈り取る巨大な鎌だったのだろう。
 ちなみに実用性はと言えば、あまりよろしくないようだ。刃が内側についているため、相手を斬るにはよほど近くでないと使えない。斬るのではなく、遠心力を利用して切っ先で相手を刺す、という使い方はできるだろうが、基本的に当時の兵士は金属製の鎧を着込んでいる。槍なら兎も角、重心が前のほうにある大鎌では、鎧の隙間を正確に突くような真似は難しいのではないだろうか。いっそ鍬でも振り回したほうが戦力としては余程役立つだろう。手鎌ぐらいのサイズならウォーピックのような扱い方もできるのだろうが。
 だがそうはいってもやはり、死神の武器と言えば大鎌と相場が決まっている。これからも頑張って振り回して欲しいものである。


・神話の中の死神
 死神の存在は神話の中にも多く語られる。無論それらの多くは鎌など持っていないし、骸骨でもない。
 例えば名そのものが死の意味としても用いられるギリシャ神話の神タナトスは、眠りの神ヒュプノスの兄弟である。古来、死と眠りは兄弟であるとされていた。また冥界を管理するハデス、その妻であるペルセポネー、そして冥界の川ステュクスの渡し守であるカロンなど。
 エジプト神話のオシリスは、死の管理人という意味では正しく死神である。冥界で、犬の頭頭部を持つアヌビス(アンプ)・朱鷺の頭部を持つトト(ジェフティ)と共に死した人間を裁く。裁かれる人間の心臓=魂は、正義の女神マアトの羽とともに天秤にかけられ、心臓のほうが重かった場合、死者は鰐の怪物アーマーン(アメミット)に飲み込まれ、蘇生を禁じられる。
 ヴードゥー教の死神はゲーデといい、またの名をサムディ男爵。黒い山高帽をかぶり、黒い燕尾服を着て、暗色の眼鏡をかけた痩身の男として表される。神々の住処であり、死者の魂が還るギネーへと至る「永遠の交差点」に立つ者である。誰よりも賢く、死者の守護者であると同時に生命の守護者でもある。その権能は死者を蘇らせることも含んでいる。
 古代ペルシアの死神として、アストー・ウィーザートゥという神がいる。「肉体の粉砕者」を意味し、最初は子悪魔だったが後に誰も逃れ得ぬ死の神となった。ゾロアスター教においては死を司る強力無比な悪魔とされ、全ての人間を冥界に引きずりこむ機会を狙っている。これは胎児すらも例外でなく、流産が起きるのもこの悪魔の仕業とされた。民間伝承によれば投げ縄が得意で、彼は生まれた人間の首に縄をかける。人間が死んだ時善人であったならその縄は外れるが、悪人はそのまま地獄へと引きずりこまれるのだという。
 フランスのブルターニュ地方には、アンクウという死神の伝説がある。長身痩躯で、顔は鍔広の帽子に隠れ首から下は長い外套に覆われている。本体は白骨か腐りかけた屍体であり、大鎌を持つ。この辺り、ポピュラーな死神のイメージに近いが、鎌は外側に刃がついているという。二人の助手と二頭の馬に引かせた二輪馬車を引き連れている。馬車は死者の魂を乗せるものであり、生きている人間は乗れない。またアンクウは普通の人間の目にも見え、それが現れるのは誰かが死ぬ前兆であるという。
 スラヴ神話にはチェルノボグという死神がいる。これは悪・闇の神であり、善神ベロボーグと対立している。
 マヤ神話にはアフ・プチとイシュタムという神がいる。アフ・プチは冥界の最も深いところを支配し、悪鬼を従え、死の迫った人間の周りをうろつき冥界へと導く。腐敗した屍体か白骨として表現される。対しイシュタムは、死者を天国へ連れて行く存在である。マヤ神話で天国にいけるのは、聖職者、生贄、戦死者、そして首を吊って死んだ者とされた。イシュタム自身もまた首を吊った姿をしており、女神である。ちょっとお会いしたくない。
 ユダヤ・キリスト教には死神は存在しないが、死を司る天使は多くいる。例えばサリエルは「死の天使」であるし、ユダヤ教ではガブリエルが黄泉の国の守護者として在る。キリスト教ではミカエルが人間の魂を秤にかけると言われる。また黒人霊歌「漕げよマイケル」は、魂の運び手(プシューコポンプ)としてのミカエルを謳ったものであるとも言う。イスラム教にも、死を管理するものとしてアズラエルという天使がいる。
 日本神話では、イザナミがそれに当たるだろうか。イザナギと決別した時、イザナミは「あなたの国の人間を毎日千人殺す」と告げ、これに対しイザナギは「では毎日千五百人が生まれるようにしよう」と返したという。この後、イザナミは黄泉の国を統べる神となった。また死者の穢れそのものを神格化した、ヤソマガツヒ、オオマガツヒという神も存在する。
 古代インドに発する閻魔も、オシリスと同じく死人を裁く者である。彼もまた日本人にはなじみの深い死神だろう。
 このように、世界各国の神話の中には必ずといっていいほど死神、或いはそれに類する神が存在する。これはそれだけ人間にとって死が身近であり、そして避けられぬ怖れであったことを示しているのだろう。


・落語「死神」
 有名な落語の演目として、「死神」というものがある。かなり好きな話なので、ここで少し話させていただきたい。
 あるところに八五郎という男がいたが、八五郎は日々酒を飲み働くこともしなかった。お陰で家はいつも貧乏で辛い暮らしをしていたのだが、ある時八五郎の前に死神が現れる。八五郎の先祖が死神を崇めていたというので、その功徳を授けにやってきたというのだ。
 死神は八五郎に、死に掛けた人間を助ける方法を教える。というのは、病人の足元に死神が立っていたら、その死神に向かって呪文を唱えるのである。そうすると死神が逃げ出して、病気が治るのだという。ただし死神が枕元に立っていた場合には絶対に助けられないとも。
 それを聞いた八五郎は早速医者を開業し、死に掛けた人間を次々と助けていく。そのお陰で貧乏からは脱出したのだが、ある時、とある金持ちが病になった。八五郎はそこに呼ばれたのだが、運悪く死神は枕元に立っている。八五郎は帰ろうとするが、向こうが多額の報酬を申し出てきた。
 その金額を聞いて八五郎は俄然やる気になるが、しかし死神は相変わらず枕元に立っている。さてどうしたものかと考えていると、八五郎の前に御膳が逆に置かれて、それが慌てて直されたのを見てぴんと閃いた。八五郎は番頭に力持ちの者を四人用意させ、四人に布団の四隅を持たせた。そして四人ぐるっと布団を上下逆にさせる。丁度頭が足の位置に、足が頭の位置になるように。すると頭のほうにいたはずの死神が足元にくるので、そこを見計らって八五郎は呪文を唱え死神を追い払った。
 これで八五郎は大金を得ることができたが、そんな八五郎の前に最初に呪文を教えてくれた死神が現れる。ついさっき八五郎が追い払った死神が、呪文を教えてくれた死神だったのである。
 その死神は有無を言わさず八五郎を暗い洞窟へと連れて行く。
 そこには無数のろうそくが立ち並ぶ場所で、それは皆人間の寿命なのだそうだ。男はそこで死神に自分の寿命の蝋燭を見せてもらうが、なんとそれは今にも燃え尽きようとしていた。
 聞くところによると、これは元々金持ちの蝋燭だったという。だが八五郎が、今にも死ぬはずだった命を助けてしまったせいで、その代わりに八五郎が死ぬことになったのだ、と。
 八五郎は死神に命乞いをする。死神は渋りつつも、八五郎に長さが半分ほど残った、火のついていない蝋燭を差し出した──

 とまぁこんな具合。
 この落語は有名なので、八五郎の結末がどうなるのか、少し調べればすぐに分かってしまうだろうが、できれば一度、実際に聞いて欲しい。



・最近の死神
 娯楽小説や漫画などにも死神を題材として取り扱ったものが見受けられる。斯く言う自分も過去に漠然としたイメージのまま死神を題材にした小説を書いたことがある。今となってはとても目を向けられたものではないが、あまり『死神』という枠に捉われることなく書けたように思える。
 それは死神のイメージがあくまで漠然としたものだからだ、と思う。大鎌・骸骨・ローブは即ち死神である。だが、それだけだ。その死神は何と言う名であるのか。──名などない。死神は死神である。
 我々、特に特定の宗教を持たない日本人にとって、死神とはあくまで漠然とした存在なのだ。ある神話の中に存在する、名を持つ特定の神ではない。
 死は恐ろしいが、魅力的だ。その向こうに人は何かを見る。なればこそ神秘的であり、特別な存在であるはずの死神は、しかし実体を持たない。そこに物語を付与する間隙がある。
 タナトスでもなく、オシリスでもなく、あくまで死神は『死神』なのだ。なればこそ、人々はその死神に想いを馳せ、物語を形作るのだろう。
 
 
 
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