『安珍清姫』




『安珍清姫』というのは悲恋物として知られている話。自分の周りには知っている人全然いないけど。

 あらすじはこんな感じ。
 昔、熊野権現へ参詣に来た安珍という僧(美形)が、紀伊の国は牟婁郡眞砂の庄屋の家に一泊させてもらうことになった。その庄屋の娘だった清姫が、この安珍に一目惚れしてしまう。
 清姫は夜、安珍の寝所を訪れて自分の想いを打ち明け迫るが、仮にも安珍は僧なのでそうもいかない。結局、「修行中の身なので、熊野からの帰りにまたここを訪れるのでそれまで待ってほしい」と言い逃れる。清姫もそれならば、ということで引き下がった。
 ……こういう妙に期待させるような返事をする時点で安珍も優柔不断と言われるかもしれないが、或いは、ただ断っただけじゃ清姫は引き下がらないと思ったのかもしれない。
 それから清姫は今か今かと安珍の帰りを待った。しかしいつまで経っても安珍は来ない。そこで熊野詣からの帰りの人に尋ねると、別の道を帰った、と言われた。ここに至り、ようやく清姫は騙されたことに気づく。
 そこから清姫はすぐに安珍を追いかけた。一途な恋心と想いを踏みにじられた恨みからとである。取るものも取らず休みもせず、髪を振り乱し裸足で安珍を追いかけ、やがて日高川に辿り着く頃には清姫は既に大蛇となっていた。清姫はその姿で川を渡り、尚も安珍を追いかける。安珍は道成寺に逃げ込み、僧達に助けを求めた。
 僧達は安珍を下ろした鐘の中へ隠し門扉を閉じるが、清姫は門を難なく乗り越え、鐘楼を突き破りとうとう安珍の隠れる鐘をぐるりと巻き、火を吐いて鐘ごと安珍を焼き殺した。
 清姫は火を放つと、そのまま寺を出て海に身を投げた。

 ここまで書くと清姫は今で言うところのストーカーだが、それだけ彼女の想いが強かったということだろう。この話の時代は平安で、当時は女性はいくら身分が高くてもどうしても男より下に置かれることが多かった。また、結婚も所謂通い婚で、女のほうから迫る、という清姫の行動自体が時代にあっていないとも言える。その分、そうまでして安珍に迫った清姫は、一途で純粋だった故に、最後には蛇に姿を変えてまで安珍を追いかけるのだろう。

 安珍にしたって、彼は僧。色欲・情欲の類は言うまでもなく御法度だった。彼が清姫をどう想っていたかは分からないが、清姫の求愛に応えるわけにもいかなかった。帰り道に清姫を尋ねなかったのも、会えば自分が清姫の想いに応えてしまうと自覚していたからではないのだろうか、とも邪推できる。
 けど誰だって蛇になってまで追われたいとは思わないだろう。流石に。

 元々『安珍清姫』の原形は、『道成寺縁起』の中で語られる、法華経の偉大さを示す話。大筋は同じだが、物語の最後で死んだ二人は、法華経の力によって極楽に迎えられる、というものだった。それが時代を経る内に、より親しみやすい悲恋物として成立していったのだろう。

 話によっては、清姫は白蛇と人間の間に生まれた子供だったり、安珍と清姫は毎年会っていたとするものもあり、また清姫は蛇にならず、途中で川に身を投げてお終いとなる場合もある。蛇になるタイミングにしても、追いかけ始めるときから蛇だった場合や、追いかけているうちに徐々に変身していく場合、川に身を投げてその怨念が蛇体となる場合などがある。

 この話が実際にあった出来事をモデルにしているのかは分からないが、もしそういったものがあるのなら、おそらく安珍を追いかけてぼろぼろになった清姫の姿が蛇のように見えたのだろう。当時の交通機関といったら主に徒歩で、安珍も清姫も休まず追い、或いは逃げていただろうから、旅慣れた安珍は兎も角、清姫はそうもいかなかっただろう。それでも追いかける清姫の姿には鬼気迫るものがあったに違いない。

 悲恋と言えば悲恋だが、それは清姫の立場にとっての話で、蛇になってまで追いかけられる安珍のほうはたまったもんじゃなかったろうなぁ。










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